支持率のみを求める政治は社会を繁栄させない バグだらけの認知能力が世論を作ることもある
少なくとも言えることは、人間は、経済学が想定する「完全情報を持って合理的に判断している合理的経済人」ではないということである。合理的経済人ではなく将来をなかなかうまく見通せない。だから、塩野七生さんの『ギリシア人の物語Ⅱ』でアテネに登場してくるデマゴーグのような輩にも、いとも簡単に扇動されて国の滅亡を招くのであり、そうした事態は歴史上、繰り返し起こってきた。
公的年金は、将来不安という人間の本質的恐怖が醸成する政治不安と政治的不安定を制御する過程で生まれてきた社会制度である。それゆえに、塩野さんが次のように言う衆愚政のリーダーの資質を備えた者たちが、政治的安定の支柱となっている公的年金の破綻論を唱えない理由はない。
民主政のリーダー…民衆に自信を持たせることができる人
衆愚政のリーダー…民衆が心の奥底に持っている漠とした将来への不安を煽るのが実に巧みな人
不安や格差をあおり立てるのが衆愚政のリーダー
衆愚政のリーダーたちは、塩野さんが言うように「(将来への)不安から発した指導者たちへの不信、その不信がエスカレートした挙げ句の、自分よりは恵まれている人々に対する恨みや怒りをあおり立てるのが実に巧み」である。だから、年金を政争の具とすると狙いが定められてきたこの20年近く、国民の間に意識された年金不安は社会全般に広がり、実に厄介であった。
しかし、その種の政治手法が成功して自らが責任ある立場に立てることができた暁には、今度は確実に行き詰まることになる。なぜならば、王位を狙うのに自らが座る玉座を壊しているようなものであり、目的を達成した後は自らが座る椅子そのものもなくなっており、すぐにその地位を追われることになるからである。
野党時代に「年金制度は壊れている」と言っていた岡田克也元副総理が、後に国会で、「年金制度破綻というのは私もそれに近いことをかつて申し上げたことがあり、それは大変申し訳ない」と詫びざるをえなくなる姿は典型的であったりするが、こうした例は枚挙に暇がない――2004年に「(現行制度は)間違いなく破綻して、5年以内にまた替えなければならない」と言っていた枝野幸男元内閣官房長官には、そうした反省の弁はない。私が、見落としているのかもしれないが。
こうした歴史を経て、日本の野党政治家たちは、ようやく、年金から手を引き始めてきているようでもある。そのあたりは、「2020年年金改革は野党炎上商法の潮目になるか」を参照されたい。
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