菅政権が避けられない「安全保障」の大問題 日本で敵基地攻撃能力議論が出てきた経緯

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それゆえ、当時の防衛大綱は、日本には周辺国が不安に感じるような侵略意図が毛頭ないと、内外に明らかにする目的も併せ持っていて、どちらかといえば、防衛力に歯止めをかけるという意味合いが濃く、キーワードは「基盤的防衛力構想」でした。

では、実際にどれくらいの防衛力が適当だと考えられたのかといいますと、当時「山川理論」という有名な考え方がありまして、日本の地形は山脈や河川によって、いくつかに区切られているから、その地形に合わせて、必要最小限のユニットを配置していく……。例えば、日本には主要な港がこれだけある。その主要な港に掃海部隊を1つずつ入れるとすると、総計は何隻になるよという具合に、防衛力を概算していました。

「静的防衛力」から「動的防衛力」へ

必要最小限度の基盤的防衛力しか持たないという考え方は、逆に言えば、日本が脅威と感じている国は周辺に1つもありませんよ、ということです。当時は米ソ冷戦の真っただ中の時代ですから、本当のことを言えば、脅威はソビエト連邦でした。しかし、ソ連のことを脅威だと明らかにすることすら、はばかられるような時代があったのです。

したがって、防衛力は具体的な脅威に対抗するのではなく、あくまでも必要最小限。小規模の限定的な侵略に対しては、独力で対処するというのが、日本が持つべきとされる防衛力だったのです。言わば「静的防衛力」と呼べるものですが、この考え方はこの後も長く続き、冷戦が終わった後、1995年に改定された大綱にも色濃く踏襲されました。

ようやくこの静的防衛力を動的に改めようという試みが始まったのは、2010年です。その少し前に統合幕僚監部という組織もできて、自衛隊を機動的に運用しようという考え方が盛り込まれることになりました。くしくも民主党政権のときに、「動的防衛力」というキャッチフレーズの防衛大綱が作られたのです。

しかしそうは言っても、まだ防衛大綱には、連綿と続く基盤的防衛力構想の影響が残っていて、要するに、脅威に対抗する考え方ではなくて、21世紀になっても山川理論の影響を引きずっていたわけです。

それがついに脅威対抗に改められたのはその3年後、2013年。民主党政権から自民党に政権が移った安倍政権のときで、まず、民主党政権が作った防衛大綱を否定すべきだという発想がスタートとなり、中国や北朝鮮といった脅威を認定して防衛大綱が作られました。

動的防衛力を発展させた形ということで、キャッチフレーズは「統合機動防衛力」と名づけられましたが、大事なのは、この大綱を境にして基盤的防衛力構想が初めて否定されたことです。具体的な脅威を認定したうえで、防衛計画を考える形になったわけです。

実際、この時点で中国は海洋進出を強めていて、尖閣国有化の影響によって、南西諸島はホットスポットに変わっていました。また、北朝鮮も指導者が金正日から金正恩に代替わりし、ミサイル開発が進んでいたという事情があります。世論の危機意識の高まりが背中を押したと見ることもできるでしょう。

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