ちなみに、このローカル線によってすっかり影が薄くなってしまったが、内房線がぐるりと房総半島南部をまわって外房線と結ぶあたりも典型的なローカル線の風情。古い駅舎あり、観光地あり、絶景車窓ありで、充分に楽しめる。“ついで”といっては失礼だが、何かの折に訪れてみてもいいだろう。まあ、通勤電車に揺られての旅ではローカルムードがあまり高まらないのだが。
と、このようにいくつもの路線で東京と結ばれてベッドタウンとしての発展を支えてきた千葉北西部と、アクアラインとの過酷な戦いを強いられてきた房総各路線が、千葉県の鉄道を理解する大きなポイントであろう。ただ、最後に何よりも重要な“千葉の鉄道”の役割に触れねばならぬ。それは、「成田」である。
鉄道は成田を目指す
東京から千葉県を目指す鉄道は、すべて成田を目指すものだったといっていい。総武線も成田線も、そして京成本線も成田を目指した。もちろん空港ではなく成田山新勝寺。今でも初詣参詣客数で全国的に上位に入る成田山への輸送を当て込んで、これだけ多くの鉄道が明治以降に敷設された。
総武線ルートと常磐線ルートを結ぶ成田線我孫子支線も、かつて常磐線側から成田山へ向かうルートを確立することで総武線ルートの客を奪おうと目論んで建設されたものだ(建設当時はいずれも私鉄による運営だった)。
さらに成田空港が開港してからは空港輸送という役割を新たに得て21世紀も八面六臂。京成成田スカイアクセス線という新路線まで誕生したほどである。
このように、成田山参詣輸送をあてこんでいくつもの鉄道が開通し、結果としてそれがベッドタウンとして発展する足がかりとなった。異様ともいえる千葉県北東部(北総地域)の鉄道網の充実は、ひとえに成田山と成田空港のおかげといっていい。いまも房総特急を走らせて頑張っているほかの路線には申し訳ないけれど、千葉県の鉄道は「成田」にすべてが象徴されているのである。
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