アウシュヴィッツ日本人ガイドが語る戦争伝承 なぜ起きてしまったのかを考える必要がある

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安部:いまは「現場を訪れること」が難しい状況ですが、中谷さんは実際に現場に足を運ぶことの意義をどう捉えていますか。

アウシュヴィッツ博物館で働く中谷さん(写真:リディラバジャーナル編集部)

中谷:ここに来ると、遠い昔に異国で起きたことだと思ってきた歴史が近づいてくるんですね。ヨーロッパも日本も関係なく、自分と関連があることだ、この歴史を繰り返しちゃいけない、と思わせてくれるんです。

ただ、伝え方は色々ありますよね。小説や映画のような伝え方もある。昔は生還者の方が自分の体験を綴っていましたが、いまは作家が生還者の言葉をもとに物語を書いていて、それがかなり読まれています。

「当事者がいなくなってもホロコーストを伝えられる」という点では希望でもあるのですが、リスクもあるんです。歴史的事実とは少しズレていたりするんですよ。事実以上にすごいことが起きたように書かれていて、だから強く感情が揺さぶられる。

安部:わかるなぁ。僕、それがすごく怖いと思っていて。

小説や映画を通して、僕たちは現実のドラマチックな部分、わかりやすい部分だけを切り取ったものだけ与えられているんですよね。強い刺激に慣れすぎちゃって、日常が少しずつ戦争に侵食されていく、ということが現実に起こったときに、その怖さを微細に感じ取れないんじゃないかと危惧しています。

「なぜ起きたのか」を考え語る必要

中谷:アウシュヴィッツって寒い都市なんですよ。そうすると、冬は収容された人がたくさん凍死した、と思うじゃないですか。でも、労働者がいなくなると困るから、冬の間はバラック小屋の中に退避させたんですね。

春になったら外に出したから、死亡者数は冬より春の方が多い。こう説明すると、ちょっと拍子抜けされてしまうことがあるんです。「なんだ、小説の方が悲惨だ」と。

そこで受け手の反応を気にして過剰にサービスしてしまうと、事実がねじ曲がっていく。生還者の方はさすがにそんなことはしないんですよね。自分の経験を語るだけで十分伝わりますから。でも、その彼らがいまどんどん亡くなってしまっている。

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