「一流」と「二流以下の人」を見分ける唯一の方法 渡邉恒雄にベゾス「一流人はみんな紳士」だった

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取材場所はもちろん大手町にある読売新聞東京本社。皇居を見下ろせる広大で縦長の部屋に入ると、渡邉氏は部屋の中央部に置かれた机の前で鎮座していた。広報担当者がうやうやしく私と朝日新聞社の編集者を紹介した時、氏は葉巻を吸っていた。

まず「本日はお忙しい中、どうもありがとうございます」と編集者が頭を下げると、「おぉ、おぉ」と言う。そして、いきなり「世界が大変な時になんでこんな呑気なテーマの取材をするんだ!」とキレ始めた。

開始早々からこんな調子では取材が破綻するのではないかとビビったが、その後、当時75歳の渡邉氏は極めて丁寧に応対し続けてくれた。敬語も交えるし、ライバルである朝日の社員を前にしても「新聞が果たすべき役割」について懇切丁寧にしてくれた。当初の取材予定時間である1時間を過ぎても喋ってくれ、最後には「まぁ、いい記事にしてくださいね」とまで言ってくれた。

正直、「ドン」「フィクサー」「帝王」「独裁者」などと称されてきた人物なだけにどれだけ高圧的で恐ろしい人物なのかと思ったが、50歳ほど年少の私にも丁寧に接してくれて驚いた。

ただし、一度だけ渡邉氏が不快感を露わにした場面があった。

「ナベツネさんは……」と私が質問しようとした時、「そのさ、『ナベツネ』というのはやめてもらえませんかね? 私はまだ『ワタツネ』の方が好きだ!」と言われたのは今も忘れられない。

Amazon創業者の無茶ぶり

渡邉氏と同様に、Amazonの創業者でCEOのジェフ・ベゾス氏とのやりとりも印象的だった。

筆者は2000年、Amazonの記者会見のスタッフとしてジェフ・ベゾス氏をもてなした(写真: Paul Morigi/Getty)

Amazon.co.jpが立ち上がる2000年11月1日。当時、私は博報堂の社員で、Amazonの日本進出を広めるための記者会見の運営スタッフとして働いていた。

日本のメディアといかに接するかを決めるため、ベゾス氏と同社の広報担当者らと一緒に打ち合わせをしていた。氏は日本とアメリカのメディアとの違いに驚きながらも、終始ジョークを交えながら「分かったよ。君たちの言うとおりにする」などと言い続けていた。

会議も無事終了し、ようやく一息つけそうになった23時ごろ。広報担当者から電話がきた。

「あのぉ~、ジェフが朝から寿司を食べたいと言っているのですが、さすがにそんな時間にお寿司屋さんは開いていないですよね……」

広告代理店社員たるもの、クライアントの要求には応えなくてはならない。翌日朝4時30分、私は築地市場へ向かった。人気店の「寿司大」でおまかせ寿司を桶で12個ほど頼み、タクシーでベゾス氏の宿泊先まで運んだのだ。

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