彼岸、無、来世「故人」が書き残した本気の死後観 死と向き合った彼らはネットに言葉を連ねた

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死後にたどり着く場所は細かく表現しないが、存在することは確信している。こういった表現は、比較的闘病期間が長く、かつ自らの死を覚悟した書き手のブログやホームページで出合うケースが多い印象だ。Cさんの文章からは生命や万物がひとつになるという価値観が読み取れる。Dさんは肉体を離れても魂(?)はどこかで存在するという観点に加え、生者の記憶の中で生き続けるというより具体的な着想もみられる。

万物とのつながりは宇宙を絡めた文脈で語られることがよくあるし、「人は忘れられたときに2度死ぬ」というモチーフは、勿忘草(わすれなぐさ)の語源にも通じるし、2017年のディズニー映画『リメンバー・ミー』のテーマにもなっている。いずれのアイデアも書き手の完全なオリジナルではなさそうだ。しかし、それらの価値観を能動的に取り入れて、自分なりの死後観を構築し、納得や確信に至った様子がうかがえる。

死後の世界を否定するスタンスも

そうした構築や考察の末に死後の世界を否定するスタンスもある。

FXで損失を出してアーリーリタイアを諦めた30代の男性Eさんは、2011年後半に自らのFXブログを自殺カウントダウンブログに切り替え、2012年秋にゼロカウントを迎えて更新を終えている。自殺意図を表明してからはたびたび死後の世界について言及しているが、最後の頃には一定の結論に至ったようだ。

「ちょっと前にブログで、死んだら消滅するか別の世界に行くか断定できないとか書きましたが、普通に考えたら死後とか魂とかは無いかなと。

死んでるのだから精神は壊れてしまってる訳だし。肉体のどこかに魂とやらが無傷で残ってるとしたら、その魂はその人が何歳の時点のものなのか。

(中略)

人生は幻の如きもの。必死に働いて生きても、遊び呆けて生きても死ねば全て終わり。

楽しく生きられるなら楽しく生きればいい。苦痛ばかりだったら生き続ける必要は無い。どうせ死んだら何もかも終わりなのだから」

死後の世界を否定するニュアンスはサイトのジャンルを問わず散見されるが、率先して「死は無」だと表明するのは自殺ブログで多く見受けられる印象がある。ただ、もちろん一辺倒ではない。

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