「いつも正しくはない」正義の味方が勝つ理由 オープンな議論を文化にするセールスフォース
政治の問題なんかはとくにそうですが、それを議論する大前提として、ある程度の認識の共有や、「議論できる」という信頼性が必要になります。その共有こそがまさしく文化だと思うのです。
例えば、ツイッターには罵声が飛び交っています。しかし、そういうことはやめて、相手を個人攻撃せずに議論をしましょうという考え方の人が増えてゆけば、やがてそれがツイッターにおける文化になり、まっとうな議論が成立するかもしれません。
ベニオフは「信頼」という言葉を何度も使っています。アリストテレスが『弁論術』という本で、人を説得するために必要なものが3つある、それはパトス、エトス、ロゴスだと述べています。
パトスは感情です。議論には、感情に訴えて人を動かすという部分があります。プロパガンダによって、みんなが感情的に一斉に動いたりすることもある。それがパトスです。
ロゴスは論理です。大切なものですが、ただし、ロゴスだけでは人は動きません。冷静な事実だけを並べ立てると、冷笑派と見なされてしまうのです。
感情だけでも論理だけでもダメ。そこでアリストテレスは、エトスと言ったのです。これは「日常の行い」のようなイメージの言葉ですが、その集団の中での日常性は、文化空間の信頼にもつながっている。ここでなら罵倒されたり中傷されたりしないから、安心して話せるという、「信頼の空間」のような感覚ですね。
信頼の空間を会社の中に作ることで、自由に議論ができる。従業員からの意見も取り上げて、みんなで一緒に考えるという土台ができるのです。
この点、日本の会社では、議論にならず、空気の抑圧に流されてしまいがちですね。みんなが問題を感じているのに、誰もなにも言い出さない。閉鎖的な空気の圧力を「信頼」と言い換えているだけで、オープンなものではないんです。
社会学者の山岸俊男氏は著書『信頼の構造』で、初対面の人を信頼できることが本来の信頼だとおっしゃっています。つまり、オープンで開かれた空間の中で、他者を信頼できることこそが信頼なのです。
しかし、日本社会の信頼は「ヤクザの仁義」です。反すると指を詰めさせられるので、イヤだけど従わざるをえないというやつですね。だから、せっかく内部告発する人が現れても、もみ消されたり、干されたりしてしまう。信頼というものについて、問い直してみる必要もあるでしょう。
揺れ動くプライバシーの信頼
GAFAのような超巨大企業は、信頼の面において、ここ数年で転換点を迎えました。最も大きかったのは、2016年のケンブリッジ・アナリティカ事件です。フェイスブックのデータがトランプ大統領の選挙に利用されており、マーク・ザッカーバーグが上院議会の公聴会に呼ばれて吊し上げられました。
あの事件から、GAFAはプライバシーに介入しすぎだという大批判を浴びるようになりましたし、そして、同時にトマ・ピケティの指摘から、租税回避問題は国際社会に対する挑戦だともいわれるようになった。
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