「引きこもる僕」が「何も言わぬ母」に思うこと 小学生から30代の現在までを振り返って
親や社会に対する罪悪感と焦燥感で押し潰されそうな毎日だった。それでも学校へ行くことはできなかった。つらい時間は長く続いた。
20代のころに震災ボランティアで被災者と出会い、その後も長崎県内のフリースペースのスタッフや利用者と対話することによって傷ついてしんどい思いをしているのは自分だけではないのだと知った。
なぜ母が「学校へ行きなさい」と言わなかったのか
社会のなかで取り残されていると感じることもあるが、不登校やひきこもりに関する居場所や支援してくれる方は外の世界にかならずいるのだ。またそういう人と対話したり関わっていくことで気持ちが穏やかになったいった。
今でもひきこもってはいるが、当時のようなつらい気持ちは感じない。自分の生き方を肯定できるようになったからだろう。
だいぶあとになって母親がなぜあのころ「学校へ行きなさい」と言わなかったのかを知った。それは、もっともつらい状況に僕がいたことを「わかっていたからだ」という。
いじめなどとちがって明確な原因が、僕の不登校はわからないのだ。重要なのは不登校になった原因を探して、それを解決して登校させるということではない。
「学校へ行くことがつらい」という当時の僕自身の心に向き合ってくれた母に今でも感謝している。
中村秀治(なかむら しゅうじ)/1986年生まれ。長崎県在住。小学5年生で不登校。著書に『おーい、中村くん―ひきこもりのボランティア体験記』(生活ジャーナル)。
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