安田純平氏に聞く「ウィズコロナ時代の生き方」 シリア監禁生活3年4カ月を通して学んだこと

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やがて、狭い部屋に閉じ込められ、1日2回の食事と排泄だけ許される拘束生活が始まった。

「シリアのイスラム国以外の反政府側組織は、拘束した外国人ジャーナリストなどの人質を殺していない。しかし、いつ解放されるのかわからない。彼らが諦めるまで、私は解放されない。日本政府は彼らに対して無視の姿勢を貫く。だからじっと待つしかないのです」

この状況は終わりなきコロナ禍に似ている。

約8カ月の「地獄」のような毎日

拘束から1年で、収容施設に移された。

「日本政府が彼らからの接触を無視したので身代金を取れないかもしれないと考えたのか、私専用の民家を用意するのをやめて巨大な収容施設に入れられました。このときに絶望に近い感情が湧き上がりましたが、私はまだ生きていると強く感じた。命があることが何よりも重要なのです。

周りにはシリア政府の兵士、ほかの武装組織の外国人、現地の民間人などさまざまな立場の囚人たちがいました。彼らは壁越しに会話をしており、私はアラビア語もある程度はわかるし英語も理解できるので、彼らの話を聞き、リポートの材料にしたかった。しかし、隣の房のおそらくシリア人に話しかけたことを相手に通報され、状況が悪化しました。もともと私を監視する役目を与えられていたようです」

拘束から2年ほど過ぎてから約8カ月間は段階的に身動き自体を制限され、最終的には動くことさえ禁じられる地獄のような生活だった。

「奥行きが180cm程度の狭い個室だったのですが、ドアに近づくのを禁止されました。足を伸ばして寝ると、廊下にある監視カメラに足が映るのでドアに近づいたと誤解され、私以外の誰かを見せしめのように拷問するのです。そのうち、指の関節が鳴る音や寝返りする音も立ててはいけないことになった。

彼らは音だけで判断しているので、こちらが寝ている間に無意識に動いたのかどうかは考慮しない。眠っている間も動いてはいけないわけです。これはとてもきつかった。私が物音を立てると、悲鳴や苦しそうな呼吸の音が聞こえるのです。そこに拷問部屋があるわけではなく、わざわざ聞こえる場所でやる。断水や、私にだけ食事が出されないこともありました」

安田さんは、抗議の意味も込め、食事をとらず、体を“くの字”に曲げて過ごすようになる。ハンストは20日間に及び、とうとう相手のほうが折れた。

「食わなければそのうち動きたくても動けなくなる。相手も私が死んだら困るんです。人質を死なすとイスラム国と同類になるので、イスラム国を嫌うほかの武装組織にとっては組織内で問題になる。だから、お前らの希望通り動かなくなったら解放しろ、と要求しました。ハンスト後、別の施設に移されるなど、さまざまな紆余曲折がありました。

最終的には『帰さないのなら、私を殺してほしい』と言いました。拘束から3年4カ月の日が近づいていたので、そのきりのいい日に解放しろ、でなければ殺せ、と。とは言いながらも、私は諦めなかった。殺すわけにはいかないということはわかっていたので、聖典クルアーン(コーラン)や預言者ムハンマドの言葉を使いながら解放の名目が立つよう働きかけたわけです。苦しい毎日は続きましたが、ちょうどその3年4カ月の日に解放されました」

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