老いた親から相続したい「お金以外」の重要資産 目に見えないところに大事なことがある
これは『旧約聖書』に原典があるようですが、「長い人間の歴史の中には、必ず先例があるものだ」という意味で、新しい方法だと言ってみても、百年まえ、五百年まえ、千年まえ、あるいは、つい何十年まえに、誰かがやっているのですから。
「その話は何度も聞いたよ」はNG
私は、以前から忘れっぽいところがあって、周囲に迷惑をかけることがしばしばありました。
人と会う約束を忘れたり、原稿の締め切りを忘れたりするのです。さらに困ることはダブルブッキングです。いくつかの仕事を重ねて引き受けてしまって、当日大騒ぎになることも少なくありませんでした。また、新しい電化製品を買ったときも、使い方をしっかりとメモをとって覚えたつもりなのに、3日も経てば忘れてしまって立ち往生する始末です。
人と話していても、前に言ったことを忘れて、たびたびちぐはぐな会話になります。たとえば、
「その話は昨日しましたよ」
「そうかなあ、すっかり忘れていたよ」
「それについては、これまで3回も説明しています」
「3度あることは4度あるというじゃないか」
「それは行きすぎ、2度あることは3度あるんです」
という具合です。これでは、そのうち誰も相手にしてくれなくなるかもしれないと心配になります。
『日刊ゲンダイ』の連載記事に、精神科医の和田秀樹さんが書かれている認知症に関するコラムがあります。和田さんの話によれば、人の記憶には2通りあるそうです。1つはエピソード記憶です。これは、昔体験したことや、できごとを覚えていることをいいます。もう1つは意味記憶です。これは、数学の公式や歴史的事件が起きた年号や人名や勉強して覚えた外国語など、知識に関することを覚えていることをいいます。
一般的に、エピソード記憶のほうが記憶に残りやすいとされています。私の場合も自分の記憶を振り返ってみると、映画のワンシーンのように、いろいろな映像が浮かんでは消えます。一方、地名とか年代とかの記憶はあいまいです。それはおそらく意味記憶の力が低下しているということでしょう。
頭の中にエピソード記憶を温めているお年寄りは、繰り返し同じ話をすることが多いようです。しかし、認知症予防のためには、
「その話は百回も聞いたわよ。次はこうで、オチはこうでしょ」
などと聞き手が先回りして横取りしてはいけません。