政治家は西浦教授をはじめ専門家を隣に座らせ、自粛の必要性を説きました。一般的には権威付けといわれますが、政治においては「成功したら私のおかげ、失敗したり批判が起こったらすべてこの専門家の責任」という意味です。その結果、政治家でなく、専門家である西浦教授批判となったのは皆さんの知るところです。そして専門家会議の議事録を公開してもいいという声がメンバーから聞こえるや否や、解散となりました。議事録を公開したくない理由は、次の2つ以外に理由はありません。
(1)専門家がやるべきだという対策をしていなかったことを隠すため。
(2)専門家がまったく言及しなかった、または意味がないとした対策をしたことを隠すため。
そして新たにまた政治主導による専門家会議が立ち上がりました。今後のコロナ対策は、バックオフィスの代わりにAIを使ってやるということです。クラスター班の一員として他国の巨大情報産業のやり取りの中でわかったのは、最近急速にAIが進化したのは、世界トップレベルのデータサイエンス系の大学だけではなく、社会福祉(ソーシャルワーク)の学者や研究者を入れたからということです。
コロナウイルスはインフルエンザぐらいの影響しかないのだから、百万人くらい感染させても、毎年1万人ぐらい死んでも大したことはないという意見はもっともですが、その1万人にわが子が含まれていたら、その家族の気持ちはどうでしょうか? その悲しみの輪は社会にどのように影響を与えるのでしょうか。生活や未来の不安がどのように人の行動特性を変えるのでしょうか。そういうソーシャルワークの観点についてAIは忖度しないので、その視点をAIに学習させる必要があります。端的に言って、社会福祉の視点がないAIを使っても失敗するであろうことは今から予言しておきます。
日本の弱点は「トップの層が薄い」
日本の公衆衛生や疫学のレベルは、人数や予算などのリソースと論文数などで国際比較をすると、質が高いことが顕著です。ほかの分野もそうかもしれませんが、明らかに少ないリソースで戦っているのです。日本の弱点はその層が薄いことであり、アメリカや中国はそのトップ層が何重にも厚みがあります。その厚みこそが国力です。
層が薄いということは、つまりプランBができにくい土壌なのです。予算不足のために、政策で「プランAがダメだったらプランBで」というと「最初から失敗する前提とは何事か!」とわけのわからない根性論になるのです。クラスター対策班は社会を感染から守るために命を削って月400時間以上仕事していました。その仕事量を評価しろというわけではありません。専門家は結果がすべてです。世界各国と比較して1000分の1以下の費用という乏しいリソースで明らかにそれらの国より正確なモデルを作り、クラスターをほとんど潰して、世界が驚嘆した初期対応結果を出したのです。それを誰が批判できるのでしょうか。
そして第2波が到来し、クラスターの制御ができなくなったらどうすればいいのでしょうか? もう収束に向かっているという意見もあります。しかしリスク管理の視点からは考えられるすべての予測はすべきです。なぜなら社会福祉の視点では、日本の敗戦や国際競争での敗北、震災への予防や対応をしつこく研究します。それらは人々の暮らしに打撃を与えますが、子どもなどの弱者にもっとも影響を及ぼすからです。
個人的意見ですが、コロナで露呈したわが国の課題は、人を切り捨てすぎて残った人に過大に負担がかかっていることです。例えば医療リソースの問題は病院だけではなく行政の保健行政も含めバックオフィスが貧弱なことです。バックオフィスなどのわが国の課題はお金で解決できることばかりなのです。雇用も増え、社会安定にもつながります。日本の課題はお金で解決できる問題ばかりと他国から羨望される恵まれた環境なのが日本の強みなのです。
わが国の初期対応は、「トップの層が薄い」のを、バックオフィスの支援で乗り切ったからうまくいったと思います。バックオフィスは悪しきコストと思われがちです。しかし社会福祉の歴史はバックオフィスの不足でわが国が失敗し苦しみ続けているということを教えてくれます。今回の日本の初期対応の結果からは、人と人とのつながりで生じたバックオフィスはAIより優れていることがわかりました。バックオフィスを他国並みに充実させることが、多様性の発展と新たな日本の成長の源になる気がしてなりません。
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