星野源が圧倒的な存在に上り詰めた納得のワケ ソロデビュー10周年で新境地、ロールモデルに

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ファン以外の人にはあまり知られていませんが、星野さんが2000年に初めて結成した「SAKEROCK」はインストゥルメンタルバンドであり、当初は歌っていませんでした。「声に自信がなかったからインストバンドにした」と語りながらも音楽は続けたことが、のちの「恋」「Family Song」「アイデア」などのヒット曲誕生につながったのです。もし「声に自信がないから」と俳優1本に絞っていたら、これらの楽曲は生まれていなかったのかもしれません。

もちろん1つのスキルを極めようという姿勢は尊いものですが、誰もがコンテンツを発信できる令和の時代、プロのエンターテイナーに求められるレベルは上がっています。スペシャリストにも「あれやこれもやってみてほしい」という声が寄せられるなど、人々の要求レベルが上がり、それに応えられる人が真のスターとして認知されていくのでしょう。その意味で、歌、演技、文章に加えて、さらなる挑戦も期待できそうな星野さんは、令和を象徴する存在になりそうなのです。

コロナ禍に必要なスピード感と行動力

星野さんが現在のようなマルチクリエイターになった要因として絶対に挙げておかなければならないのは、類いまれな行動力。

星野さんは高校生時代に劇団「大人計画」の舞台を見て感動するとワークショップに参加し、のちの正式所属につなげました。また、前述したSAKEROCKは星野さんが同じ高校のメンバーを集めて結成したバンドであり、自らリーダーを担当。文章も知人に編集者を紹介してもらい、営業して小さな仕事からはじめ、徐々に文字数を増やして出版できるようになったそうです。

このほかにも星野さんは、映像ディレクター・山岸聖太さん、デザイナー・大原大次郎さんと映像グループ「山田一郎」を結成したり、愛聴していたラジオ番組のジングル募集に応募したりなど、穏やかな佇まいからは想像できないほどの行動力を見せてきました。

今春の「うちで踊ろう」も、星野さんの行動力を象徴するエピソードの1つ。香取慎吾さんが「『うちで踊ろう』動画への参加で精神的に助けられた」とコメントしていたようですが、これは楽曲の素晴らしさ以上に、星野さんの行動力に感動し、勇気をもらったからではないでしょうか。

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