デキる人が「まず100案出す」を習慣化する理由 根性論では決してない、圧倒的な真実
いろいろ言いたいことが渋滞してスッと言葉が出てこないとき、パッとこうした優先順位をつけられる人は強い。まずは自分の中の優先順位、そして、相手にとっての優先順位。この2つを意識的に整理できると交渉や提案で有利に働くことは言うまでもない。
どんどん言葉にすればいい
少し乱暴かもしれないが、ここまで思考を言語化するためのテクニックについて語ってきた。しかし、究極的には、優先順位がどうこうを考えるよりも、まずは迷ってないでどんどん言葉にしたほうがいい。質は量から生まれる。その逆はない。
思考を言葉にする作業はフローの作業だ。頭の中に生まれたきらめきや一瞬の情報の断片を捕まえるときに立ち止まって迷っていると、「波に乗る」ことができない。
どうせ言葉なんて発した瞬間から消えていくものなのだ。だから、臆せずにどんどん外に出してしまえばいい。言葉は発せられた瞬間に世界に刻まれる。誰も聞いている人がいなかったとしても。世界のどこかでその言葉が発せられたという事実は残る。
会議でもなんでも「何も言わない」というほうが罪だ。誰しも必ず他人とは違う視点を持っている。必要だから、評価されているからこそその場に呼ばれているのだ。発言しなければいけない。それは時として権利ではなく義務だ。
例えば「1時間アイデアを出し合おう」。
そのときに、若手に対して「全然違うよ」と言ってしまうのか、「お前がそのアイデアを出してくれたことで、このアイデアの方面は違うな、ということがわかった」と言うのか。的外れな意見だったとしても、無限の可能性の中から1つ可能性が減るわけだ。だから、アイデアを言葉にしない、発信しないのは、ことブレストにおいては「罪」なのである。
「やってみたけどダメだった」というのは進歩だ。それは無限の可能性の中から1つ選択肢が減るということだからだ。
広告代理店では、若手のコピーライターは100個以上の案を出すのが普通だ。それは「100個の正解」を探っているのではなく、「間違いが間違いである」ことを確認するために言葉にしているのだ。
最終的には、最初に出てきた「1案目」に決まることがほとんどだ。打ち合わせをしていると「これだな」と全員が思う瞬間がある。それでも100案書くことに意味はある。その100案の中に正解がないことで、安心して世に出すことができるからだ。そこがプロとアマチュアの違いなのだ。
広告の仕事でよく使う言葉が「これ、1回検証で作っといて」というものだ。検証というのは、例えばロゴの色を決めるとき、みんなが「青がいいな」と思っていても、ほかの色で作ること。大事なのは、考えながらでも、一度手を動かすことだ。
渋谷の109に生理用ナプキンを掲出することで大きな話題になった「SPUR」の創刊30周年記念広告でもコピーについては、若手のコピーライターを中心にかなり悩んでいた。
「時代はいつもあなたから変わる」「あなたの時代がやってくる」「Just Be Yourself」など、さまざまな可能性がある中で、どう考えたって「時代はいつもあなたから変わる」なのだけれど、その「どう考えたって」を裏付けして言語化する。その検証が大切なのだ。
少し話がそれたが、「正しい、正しくない」は脇に置いておいて、どんどん言葉にすればいい。そのうち「これだ」という言葉が見つかるはずだ。
言葉は、下手でもなんでもいいから、どんどんアウトプットしたほうがいい。とにかく、量があって初めて質が生まれるのだ。
ゴルフでも打ちっぱなしに何度も通ってボールをたくさん打たないといいスイングはできない。コピーライターも100案、1000案と書くから、いいコピーとは何かがわかるようになる。
間違えたことのない人間が成長することはない。間違えた数が、そのまま成長の係数に変わっていく。だから間違いの案だとしてもどんどん出していくべきなのだ。
エジソンも「私は失敗したことがない。ただし1万通りのうまくいかない方法を見つけただけだ」という有名な言葉を残している。
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