NHK台湾新幹線ドラマを支えた「撮り鉄」の情熱 700Tを16年間撮り続けた男、ロケ地に精通

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台湾側の制作担当である劉士華氏は「まずネットで撮影ポイントを探してみたが、どれも監督のイメージには合わなかった」と振り返る。クランクインは迫っているのに、実景の撮影地だけが決まらない。焦りといら立ちだけが募るなか、11月21日、劉さんは高速列車の運営会社である「台湾高鉄公司(高鉄)」と行った撮影前最後の会議で、「誰か『台湾高速鉄道の達人』を紹介してもらえないか」と、思い切ってたずねた。

呉漾さん。「台湾の高速列車の撮影を最も熟知した男」と呼ばれる。

すると、その場にいた高鉄の経営陣らは、異口同音にして1人の男性の名を挙げた。「それなら呉漾さんに頼めばいい」。こうして「台湾の高速列車の撮影を最も熟知した男」という異名を持つ鉄道ファンが、ドラマの制作陣に加わったのだ。

「日本のNHKから依頼が来たときは、体中に電気が走るような衝撃を受けた」。呉漾さんは、今でも興奮まじりで当時を振り返る。依頼があるや、呉さんは100枚ほどの写真を用意し、制作チームとの打ち合わせを行った。制作チームにとって呉さんの知識とアドバイスは目を見張るものだったが、長年、台湾の高速列車の撮影を続けてきた呉さんにとっては造作もないことだったという。

鉄道少年から高鉄の達人へ

呉漾さんは幼い頃から電車が大好きな少年だったという。学生時代はインテリアデザインを学びながら、趣味のカメラで当時台湾を走っていた汽車の姿をとらえ続けていた。さらには、台湾の鉄道だけでなく何度も日本を訪れ、新幹線の撮影を行っていた。

卒業後は20年以上インテリアデザイン業に従事し、仕事に追われる毎日だったが、2000年の台湾高速鉄道の着工をきっかけに、彼の鉄道人生は大きく変化していった。

2004年から、呉さんは台湾高速鉄道の建設現場に足を運ぶようになり、駅舎などの撮影を始めた。試運転が始まった2006年には、呉さんは炎天下のなか2時間待ち、新竹駅行きの試運転第1号の撮影に成功している。

「開通してからは、ある建築現場の足場に上って、腕を伸ばしたりしながら列車が走る姿を撮影したこともある」と、呉さんは笑う。撮影のために危険を顧みない姿からは、高鉄へのほとばしる情熱が見え隠れするようだ。

その後、呉漾さんは1人の鉄道ファンとして高鉄の式典やイベントで正式な撮影許可の申請をするようになった。当時、高鉄の広報に携わっていた陶令瑜氏は「私が呉さんと出会ったのは2016年。呉さんをよく観察してみると、彼が撮影するのは車両だけでないことがわかった。彼のカメラは現場のスタッフの笑顔の裏にある努力をも写し出そうとしていたのだ」。

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