橋崩落の上田電鉄別所線「市民パワー」で復活へ 台風で鉄橋が被災、全線再開後に乗客戻るか

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このときは、別所温泉観光協会長が中心となって電車廃止反対期成同盟会(現・別所線電車存続期成同盟会)が結成され、上田市議会にも別所線電車対策特別委員会が発足。同年のうちに上田市と上田交通との間で廃止延長の調印が行われ、翌年鉄道軌道整備法に基づく補助路線に認定されたことから軌道整備補助金の交付が始まり、存続が決定した。

ところがその後、2000年から翌年にかけて京福電気鉄道(現えちぜん鉄道)で相次いで発生した列車衝突事故を契機に、国が安全性緊急評価の実施を決定したことで多額の設備投資が必要となったことから、2002年に上田交通から市に対し、公的支援の陳情書が提出された。2度目の危機である。

これを受けて上田市では、翌年に市長を本部長とする緊急対策本部を設置して検討した結果、鉄道が地域の公共交通として生活はもちろん産業・環境・文化面でも大きな役割を担っていると認識し、2004年安全対策を核とした公的支援を決定した。

さらに2005年には関係25団体によって「別所線再生支援協議会」が設立され、5年間にわたる別所線再生計画を策定。国や県、市から支援を受けながら、事業者と地域住民が一体となった「乗って残そう」をキーワードとした利用促進策に取り組んでいる。

利用促進策が奏功

こうした対策が功を奏して、2006年度には10年ぶりに輸送人員が増加に転じた。その後もこのレベルを維持している。こうした取り組みに対して2008年には「交通関係環境保全優良事業者等大臣表彰」を受けている。

鉄道に興味を持ってもらうべく、「丸窓電車」ことモハ5250形を象徴的存在にしていることも目立つ。1928年から1986年まで別所線で活躍した車両だ。といってもキャラクター商品を販売しているだけではない。

別所線を走った3両の丸窓電車すべてが現存しており、終点の別所温泉駅、西丸子線沿線にあり計器を提供した長野計器の工場、解体予定だった車両を譲り受けたさくら国際高等学校で静態保存しているからだ。さらに東急電鉄から譲り受けた現存車両の一部にも、丸窓電車風のラッピングを施すなどイメージ戦略は徹底している。

ウェブサイトでは上田電鉄オフィシャルのほか、別所線電車存続期成同盟会が2003年に立ち上げた「別所線にのろう!」もある。こちらは現在、上田市のウェブサイトに組み込まれており、コロナ禍での「おうち時間」を楽しむペーパークラフトも紹介している。

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