トランプはなぜ「ツイッター騒動」を起こしたか ソーシャルメディアに欠ける「権力の自覚」
この騒動が示しているのは、権力者が圧力をかける対象が、これまでの新聞やテレビだけでなく、ソーシャルメディアにまで広がったことだ。数十億人というユーザーの数の多さは既存のメディアを圧倒しており、その影響力を知れば、トランプ氏ならずとも権力者が自らの意のままに操りたいと考えるのは当然だろう。
トランプ氏にとって、新聞やテレビは自分の言動を右から左に黙ってそのまま流してくれる媒体ではなく、各社が重要だと判断する部分を選び、それを評価して報じている。一部保守系メディアを除けば、ほめられることはほとんど皆無で、大半が批判的な内容である。
それが気に入らないトランプ氏は、新聞やテレビのことを「Fake News Media」(虚偽報道)、「Lamestream Media」(絶滅寸前のメディア)と呼び、「the enemy of the people」(国民の敵)とまで決めつけた。
ツイッター社の反論に当惑するトランプ氏
一方で、自分が書いたことをそのまま膨大な数のユーザーに伝えてくれるツイッターやフェイスブックなどのソーシャルメディアは、トランプ氏にとって非常に心地いいものとなっている。しかもユーザーの多くが支持者であり、下品な表現であろうと、事実関係が間違っていようと、礼賛の声ばかりが返ってくる。
トランプ氏からすれば、よりによってツイッター社から「事実関係がおかしい」などと指摘されるとは思ってもみなかったことだろう。「ツイッターは中立的な公共のプラットフォームであることをやめ、視点を持つ編集者になった。検閲は自由への脅威だ」というトランプ氏の批判は、新聞やテレビと同じようにツイッターも自分に歯向かってくるのかという当惑の声でもある。
新聞など既存のメディアと普及し始めたころのソーシャルメディアは、明らかに今とは違うものだった。新聞は世の中のさまざまな出来事の中から、記者が読者に伝えるべきと判断したニュースを記者の視点で書き、新聞社の責任で編集し、見出しを付けてきた。各社の責任でニュースを選び、それぞれの判断でレイアウトし、読者に届ける。読むに値すると判断した読者がお金を払って読む。
ところが、ソーシャルメディアは、記者でもない一般人であるユーザーが身の回りの出来事などを発信し、基本的に編集者らのチェックなしで載せてきた。仲間内でそれを共有し、反応し合う。新聞やテレビとはまったく別世界だった。しかし、ユーザーの飛躍的増大とともにその発信力は既存メディアをしのぐものとなり、コンテンツも多様化してきた。
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