お笑いタレントが面白くなくなった理由 もう“金太郎飴芸人”はいらない

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笑いの年功序列に阻まれる、若手芸人たち

そもそもこれら“笑いの養成所”での指導役の放送作家やお笑いタレント自身に笑いのセンスがあるのか、世に出ているレベルの低いお笑い番組を見るにつけはなはだ疑問だが、これはお笑いコンテストの審査員自身に笑いのセンスがない、と斬ったビートたけし氏と同じ意見である。

年末のお笑い芸人のトーナメントなどを見ていても、吉本の全然面白くない重鎮芸人たちが、さも訳ありげな表情で“審査”とやらをしているのは、滑稽にすら思えてしまう。

そして結果的に、これら“重鎮”に日頃から目をかけてもらっている“吉本養成所のときから長らく下積み生活を頑張ってきました”という系列芸人たちが、見飽きたおなじみのパターンをNSCで学び、時代遅れの化石芸人たちの的外れな“審査”を通じてお茶の間に電波で運ばれていくのだから、お笑い番組が面白くなるわけがないではないか。

日本社会にはあらゆる場面で年功序列が色濃く残っているが、新しく、前衛的であるべきお笑いの分野でも、新たな笑いの才能が、笑いの老害たちに出世を阻まれているのだ。

重鎮に押し付けられた“型”にはまらない、新たな笑いを

かつてのお笑いの天才たちは、新たな笑いの形を世に提供してきた。笑いのクリエーティビティという意味では、かつてのダウンタウンは笑いのイノベーターであった。しかし後続の芸人の多くがその影響を受け、同じようなトーンの笑いをまねようとしたが、これは松本氏と浜田氏の個性と才能があるからこそ受けた“型”であり、背景の違う芸人がNSCなどで学んで面白くなれる話ではないのである。

そもそも、人の脳は同じ刺激には反応しなくなくなる。どれほどすばらしい音楽でも毎日聞いていると食傷するし、あれほど笑えた漫才も、YouTubeで何度か見るともう嫌悪感すら覚える。つまり過去に受けたネタやパターンは、すでに視聴者がそのパターンを認識しているので、昨日面白かったネタは、もう今日は全然面白くないのである。

まだかつての笑いのパターンに触れていない中学生や高校生には“新鮮な刺激”かもしれないが、中年以降の視聴者にとっては、どれもすでに見たことのあるパターンだらけで、特にダウンタウンのコピーの失敗作のようなコンビがあまりにも多い。

新たな笑いを生み出すには、吉本のお笑い養成所などに頼ってはいられない。もちろん芸能事務所やテレビ電波へのアクセス、および同じ夢を見る若手芸人たちとのネットワークを買うという意味で、割り切って40万円の入学金を払うのは一定の合理性があるかもしれないが、そこに行って笑いを学び、面白い人になろうというのは大きな間違いなのである。

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