自粛しない人も「通報する人」もどうかしてる訳 市民が連帯せず責任なすりつけ合う地獄絵図

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加藤勝信厚生労働相は4月24日の記者会見で、自宅療養中の患者数を把握することや、看護師などが常駐するホテルや宿泊施設での療養への切り替えを進めるとしたが、埼玉県に限らず自宅待機を余儀なくされている患者は膨大な数に上っており、このような突発的な容体の悪化に対応できない体制が放置されるのであれば、今後、在宅コロナ死、あるいはコロナ行き倒れが続出する可能性は否めないだろう。

未曾有の出来事ゆえ仕方ない面はあるが、政府や自治体が必ずしも望ましい格好で、この事態を適切に対処しているとは言えない。一方、政府や自治体の自粛要請を絶対視して、異常なほど隣人に攻撃を仕掛ける風潮も先鋭化している。

「店が営業している」で110番通報

緊急事態宣言後、東京都内では「自粛中なのに店が営業している」「公園で子どもが遊んでいる」など、新型コロナウイルスに関する110番通報が急増。大阪府でもコールセンターに同様の通報が数百件寄せられたという。

確かに患者数の増加は、何の危機感もないまま不要不急の外出をしていた人々や、また休業要請を受けていない施設であれば安全だと勘違いし、「3つの密」(密閉・密集・密接)の回避を守らず行動していた人々によってもたらされた面はあるだろう。

だが、そもそも前述した感染症対策を含む「国の政策の妥当性」と「国民の行動変容の妥当性」は分けて考える必要があり、さらに後者に関しては前者の取り組みの実効性にかかっている部分が大きい。にもかかわらず、「個人」と「国」、「私」と「公(おおやけ)」が一緒くたにされて、あたかも自分が国家の意志を体現する者であるかような倒錯が起こっている。いわば『臣民の道』の劣化コピーである。

1941年(昭和16年)に文部省教学局より刊行された『臣民の道』は、「国民が国家の意のままに動く道具であること」を定義付けた「国民道徳の指標」だった。

「私生活というものが国家に関係なく、自己の自由に属する部面であると見なし、私意をほしいままにするがごときことは許されないのである。一わんの食、一着の衣といえども単なる自己のみのものではなく、また遊ぶ閑、眠る間といえども国を離れた私はなく、すべて国とのつながりにある。かくて我らは私生活の間にも天皇に帰一し国家に奉仕するという理念を忘れてはならない」
次ページ「密告社会的なメンタリティ」の再来に過ぎない
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