そして4月16日、長文の答えが届いた。その抜粋を紹介する。
メッセージに読み入るうち、各メディアが「緊急事態宣言を全国に拡大へ」と速報を流し始めた。
125年で初の閉門
ネットメディア「弘前経済新聞」は、弘前城の追手門が4月10日夕、ゆっくりと門扉を閉じる様子を動画で報じた。この城は戦国の戦火が落ち着いた後に建てられ、合戦の舞台となったことはない。第二次大戦の戦火にも遭わなかった。
それだけに、重々しく閉ざされていく門の映像は、まちが命運をかけた、前例のない戦(いくさ)に臨もうとしている姿を想起させた。追手門が閉じるのは、1895(明治28)年の開園以来、125年で初めてという。
2010年12月4日、東北新幹線全線開通・新青森開業。その3カ月後、春の観光シーズンを目前に東日本大震災が襲った。弘前市は直接の被害こそ免れたものの、観光客の激減で大打撃を受けた。それでも、市や弘前大学が連携して岩手県野田村の支援に取り組みながら、さくらまつりのにぎわいを少しずつ取り戻した。
その後、本丸の石垣に崩落の危険があることがわかり、天守を移動
歴史を振り返ると、弘前のまちは明治維新以外にも、何度か存亡の危機を乗り越えてきた。櫻田市長は15日の記者会見で、苦境に立つ飲食業界などに支援策を検討していることを明らかにしている。
誰にも正解を見いだせない状況下、それでも、公園のソメイヨシノは開花の時期を迎えている。
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