花見できない弘前…新幹線青森開業10年目の涙 新型コロナが青森県内有数の観光都市に影響

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そして4月16日、長文の答えが届いた。その抜粋を紹介する。

「新型コロナウイルスの感染拡大を防止するためには、人の流動を抑えることが重要であります。弘前市にとって最大のまつりである弘前さくらまつりの中止が弘前市の経済に与える打撃は計り知れませんが、市民や観光客の命と健康を守るための決断であります。
多くの皆さまが楽しみにしていた弘前公園の桜。お城と桜とりんごのまち弘前市を代表する弘前城の桜を今年は楽しむことができなくなり残念でなりませんが、桜は戦争や災害などさまざまな苦難を乗り越えて毎年美しく咲き誇ってきております。
私たちが今やらなければならないことは感染を拡大させないことです。全国的に不要不急の外出自粛など、人の流動を抑制することが大切な時です。一人ひとりの思いやりのある行動が、ご自身やご家族、大切な人の命と健康、そして私達が暮らす社会を守ることに繋がります」

メッセージに読み入るうち、各メディアが「緊急事態宣言を全国に拡大へ」と速報を流し始めた。

125年で初の閉門

ネットメディア「弘前経済新聞」は、弘前城の追手門が4月10日夕、ゆっくりと門扉を閉じる様子を動画で報じた。この城は戦国の戦火が落ち着いた後に建てられ、合戦の舞台となったことはない。第二次大戦の戦火にも遭わなかった。

それだけに、重々しく閉ざされていく門の映像は、まちが命運をかけた、前例のない戦(いくさ)に臨もうとしている姿を想起させた。追手門が閉じるのは、1895(明治28)年の開園以来、125年で初めてという。

東北新幹線全線開通を告げる弘前駅のボード=2010年10月(筆者撮影)

2010年12月4日、東北新幹線全線開通・新青森開業。その3カ月後、春の観光シーズンを目前に東日本大震災が襲った。弘前市は直接の被害こそ免れたものの、観光客の激減で大打撃を受けた。それでも、市や弘前大学が連携して岩手県野田村の支援に取り組みながら、さくらまつりのにぎわいを少しずつ取り戻した。

その後、本丸の石垣に崩落の危険があることがわかり、天守を移動しての大工事が2015年に始まった。ポスターなどで親しまれた景観が見られなくなる危機に際し、逆に天守の“引っ越し”を「曳屋(ひきや)」イベントに仕立て、話題と観光客を集めるなど、工夫を凝らしてきた。

歴史を振り返ると、弘前のまちは明治維新以外にも、何度か存亡の危機を乗り越えてきた。櫻田市長は15日の記者会見で、苦境に立つ飲食業界などに支援策を検討していることを明らかにしている。

誰にも正解を見いだせない状況下、それでも、公園のソメイヨシノは開花の時期を迎えている。

櫛引 素夫 青森大学教授、地域ジャーナリスト、専門地域調査士

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くしびき もとお / Motoo Kushibiki

1962年青森市生まれ。東奥日報記者を経て2013年より現職。東北大学大学院理学研究科、弘前大学大学院地域社会研究科修了。整備新幹線をテーマに研究活動を行う。

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