日本の会社は「過剰は無価値」とわかっていない 水野学×山口周「これからの会社の価値」
山口:これは「文明の勝利」ということですばらしいんですけど、ビジネス的にはとても困ったことになるわけですね。私たちは「問題=困っていること」を解決するためにお金を払ってモノやサービスを購入するわけですが、現在の世の中では「問題=困っていること」が希少になっているんですよ。
その結果として発生しているのが「正解の過剰化」という問題です。数少ない問題についてみんなが論理的に正しい答えを追い求めた結果、この「正解の過剰化」という問題が起きている。家電が典型的な例で、冷蔵庫や電子レンジのデザインや機能って、どのメーカーでもほとんど同じじゃないですか。これは「正解にみんな行き着いてしまった」ということなんですよね。
「利便性の過剰」とは
水野:「正解の過剰」。ハッとさせられる言葉です。たしかにそのとおりですね。僕も、講演のときに各メーカーのテレビを並べたスライドを使うことがあります。メーカーの違いは、外見だけだとほぼわからないですね(笑)。
山口:仮に「家電は白でシンプルな形」が正解であるなら、どの会社も同じ「白でシンプルな形」になるし、そこから外れるメリットは一見なさそうですね。でも、多くの場合「この正解は、はたして何に対する正解なのか?」という問題が提起できていない気がします。つまり課題が置き去りになっているわけです。
水野:一歩先の、これからの価値は何かが、深く考えられていないということですよね。技術が進歩して、便利なものは増え続けているけれど。
山口:そうですね。いわば「利便性の過剰」です。便利なものって当たり前になっていて、もはやなんでも便利だからありがたみがないし、欲しくもない。そこである種の不便さが求められてきていると感じます。
身近なところでいうと、僕の家は山のほうなのですが、近所の家の多くが薪ストーブを入れています。薪ストーブって、とても不便なんですよ。冬に入る前に大量の薪を買って薪棚に干す。火をつけるときは焚き付けから少しずつ育てていかないといけない。一度火がついてもほったらかしにはできず、適度に空気や薪の量を調節しなければならない。でもみんなそれを喜んでやっているわけです。
これは一種の「近代の否定」なんですよね。「おじいさんは山へ柴刈りに」って昔話の世界ですからね。