住民の帰還進まぬ「常磐線」利用するのは誰か 全線運転再開後の「未来」はどこにあるのか
東日本大震災に伴う東京電力福島第一原子力発電所事故により不通が続いていたJR常磐線の富岡―浪江間が3月14日、震災から約9年の歳月を経てようやく運転を再開した。途中の夜ノ森、大野、双葉の3駅も営業を再開。これで常磐線は全線が「復旧」した。
しかし、原発事故による避難指示はすべて解除されたわけではない。むしろ、まず鉄道という動脈を通しておいてから、沿線の復旧、復興を進めようとする意図が明確でもある。いったん無人となり、約9年間、荒れるがままに放置されてきた地域の復興は容易ではない。むしろ常磐線は、地域の生活を取り戻すための第一歩として、運転を再開したと言えよう。
にぎわった運転再開初日だが…
3月14日は、まず下りの運転再開一番列車である、いわき発5時23分の原ノ町行きに乗車してみた。早朝ゆえ、それほどの混雑ではなかったものの、多くの利用客があった。
原発事故が発生した2011年の末の不通区間は広野―原ノ町間に及んでいた。その後、2014年6月1日に広野―竜田間、2016年7月12日に小高―原ノ町間、2017年4月1日に浪江―小高間、同年10月21日には竜田―富岡間と順次、復旧区間は延び、部分的ではあるが運転が再開されていった。筆者はそのたびに取材に訪れているが、さすがに今回の「全線復旧」が、各列車とも、いちばんにぎわっていたように思う。
ただ、少し様相が違うように思えたのが、一番列車の利用客の大半が、9年ぶりに列車が運転された区間を「試し乗り」する向きであったこと。写真を盛んに撮るなどの行動を見ていれば、それとなく客層がわかる。もちろん、これまでの部分再開の時にも多かった層ではある。
だが一方で、部分再開の際にはそれなりの数、見受けられた「帰宅目的」の地域住民が目立たなかった点が、今回の全線運転再開の特徴であるようにも思えた。これまで、列車の運転再開は避難指示の解除に伴って行われてきた。それゆえ、たとえ宿泊できなくても、避難先から自宅に通い、本格的な帰宅に備えて後片付けなどを行う住民の姿があった。
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