投資家「高宮慎一」生んだ憧れとコンプレックス スタートアップは「最高にクリエーティブだ」
わざとカタカナ発音をした少年時代
メーカーに勤めていた父の転勤で、子ども時代に2度の海外生活を経験した高宮氏。幼稚園の年長から小1まではイギリス、小5から中3まではイギリスとオランダで学校生活を送った。いずれの時期も、周囲に日本人はほとんどいない環境だったという。
「周りとの違いをつねに意識させられたので、日本に帰れば周りと違わない、同質なんじゃないかという幻想を抱いていました。ところがいざ帰ってきてみたら、意外と自分自身が変化していて、どっちでもアウトサイダー感があった」
日本の小学校に編入すると、わざとカタカナ英語で発音した。ネイティブの発音は、浮いてしまう。周りになじもうとして必死になったが、つねに違和感を抱えながら成長した。
2度目の帰国後は私立の武蔵高校に入学し、東京大学へ進学する。大学時代はレコードにはまり、数千枚を所有。1970年代に100枚しか生産されなかったレア盤を入手し、ファッションデザイナーや写真家、イラストレーターといったさまざまなジャンルのクリエーターと組んで、イベントを開催していたという。
当時、イベントの開催場所を借りるには、最低保障金が30万円ほど。学生の身にはとにかくお金がかかった。そこをうまくプロデュースして、収支の帳尻を合わせるのが高宮氏の立ち位置だった。
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