一流の教育機関に必要なもの
今回の日本科学技術界の大恥を受けて、長期的には社会にいい影響があるだろう。まず早稲田大学の在学生にとっては受難かもしれないが、大学で論文の審査が厳しくなるのは間違いなく、これはほかの教育機関にもスピルオーバー効果があるだろう。アカデミックな世界における倫理のスタンダードが上昇し、論文を出す側にも自主規制が強まるだろうし、審査側にもより強固な審査体制がとられることだろう。
また、小保方さんは、どうやら人はよさそうだ、と思うが、周囲からも「理研に残して反省してもう一度頑張ってもらう」という声が出ているとおり、周りからかわいがられる人柄のようである。しかし今後は“かわいげのあるいい人同士のなぁなぁの世界”に、世界水準の厳しい倫理規定が優先するようになることを望みたい。
『Nature』がなぜ世界的な科学雑誌になったかといえば、そこで掲載される技術の革新性だけでなく、世界中の科学の頭脳から信頼されており、厳正な審査を経た論文だけが掲載されていると目されているいるからだ。私の業界にたとえれば、なぜ皆、ニューヨーク証券取引所で上場したいかといえば、これも“ニューヨークのSECの上場基準を満たしている”という信頼のお墨付きを、世界最高水準で受けることができるからなのである。
今回の小保方さんの“悪意なき不正論文騒動”は、早稲田大学に限らず日本の学術界の“審査水準の甘さ”“倫理スタンダードの甘さ”の氷山の一角であり、また、実際は厳格に審査をしている学術界の方々の信頼性をも毀損させる残念な事件であった。
しかしそうだからこそ、これを機に「私は日本の大学を卒業したんだ」「理研で認められたんだ」「日本の早稲田大学で博士号をとったんだ」ということ自体が世界水準の信頼の証しとしてアカデミズムの世界で尊敬されるように、深く反省して信頼回復に取り組んでもらいたいものである。
わが師・グローバルエリートがその著書「世界中のエリートの働き方を一冊にまとめてみた」で語っていたよう、社会からの信頼こそがリーダーシップの基礎であり、それは投資銀行だろうがコンサルティングファームだろうが政治の世界だろうが科学の世界だろうが、一流の人と資金と尊敬を集めるうえで最も大切な条件なのである。
少子高齢化が進み、ともすれば“緩く、甘くして学生を引き付ける三流教育機関”が多くなる中、逆に“めちゃくちゃ厳しく厳正だからこそ、世界中から優秀な学生を引き付ける一流の教育機関”が、技術立国の日本には必要なことを再認識させる、謎の細胞・STAP細胞をめぐる狂想曲であった。
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