STAP騒動に見る、一流教育機関のあり方 悪いと思ってなかった、小保方さんの不正論文

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日本のアカデミズムは、倫理規定が緩い?

さて、この卒論でのコピペにも批判が集まっているが、実は内心胸に手を当ててみると、「自分も大学の頃の論文、ほとんどウェブでコピペしまくっていたなぁ……」と、懐かしく思い出す読者もいらっしゃるのではないか。

私が欧米の大学に留学したときに真っ先に驚いたのが、論文の書き方、レポートの書き方の作法に関する厳しさである。日本だと引用元とか適当に主要引用先のリストを文末にAppendixで添付しておしまい、ということが多いが、米国とかだと学部の頃から引用した部分の特定と、それが誰がいつ書いたなんという本の何ページに載っているのかを明記しなければならず、そうしなければ学術的な詐欺を働いたことになり、下手したら放学につながる重大倫理違反だとみなされている。

この米国の高等教育機関の基準で提出レポートを審査したら、日本の大学生の数は半分以下に減ってしまうのではないか(コピペが横行していて、みんな放学されてしまう、という意)。

別に小保方さんを擁護するつもりはないが、小保方さんとしても「別に私だけでなく、このくらいの流用、AさんもBさんもCさんもやっているのに……」と、大相撲八百長騒動のときに琴光喜が感じたであろう心境にあるのかもしれない。

なぜ“ばれる不正”を世界の舞台で働いてしまったのか

今回のSTAP細胞騒動には謎が多い。まず、どうせ世界中の科学者からの追試を受け、再現可能かどうか世界中の頭脳が検証するのが目に見えているのに、なぜ不正論文の掲載に至ったのか。これは理研内部でどのようなレベルの研究とそれへの審査が行われているのかということに対する、納税者の重大な不信につながったし、不正だらけの博士論文を認めた早稲田大学の博士課程の審査レベルに対する不信感にもつながった。

博士というと、なんといってもドクターなわけだが、欧米だと博士課程が非常に厳しく難しいだけに、一度ドクターをとると社会的に尊敬され、終生名刺にもDr.がつき、ミスターではなくドクターと呼ばれる。

これに対し日本だと修士課程に行く人は“単に就職できなかった人”と見なされ、博士課程に行く人は「学部のときも修士のときもリクルーティングに失敗し、教授のコネでなんとか学校に残してもらったんとちがうか」くらいの冷たい視線を浴びている人も存在するのではないか。別に修士だろうと、博士だろうと国内にも立派な人はたくさんいるわけだが、欧米の高等教育機関に比べて“厳正な審査を受けていない”と思われているのは事実であろう。

そんな中、アカデミズムの倫理規定に緩い国内環境で博士号論文まで通っただけに、そのことに対し小保方さんは、報道されているように、”悪いことをしている意識はなかった”という感覚で、今回の不正論文騒動につながったのだろうか。

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