日本電産、「元日産の新社長」にのしかかる重圧 就任2年弱で吉本・現社長を更迭したわけ
「これからは吉本を表に出していく」
永守氏は2019年1月、新年の賀詞交換会で自身によるあいさつを中止した。半年前に社長に就任した吉本氏への権限委譲を進め、「永守色」を消していこうという配慮だった。賀詞交換会後の記者会見は吉本氏が単独で臨み、社長に就任して以降、役員間で議論しながら経営を進める「集団指導体制」の構築が進んでいると吉本氏は強調した。
順調に「脱カリスマ経営」が進んでいるかにみえた日本電産だったが、その1週間後にさっそく危機は訪れた。都内で緊急の記者会見を開き、自動車や家電など幅広い分野の受注が2018年11~12月に前年同月比で約30%落ち込んだと永守氏自らが説明。「こんなにドンドン落ちたのは46年経営して初めて」(永守氏)と危機感を示した。
吉本氏の社長登用は早すぎたのか
「成長し続けることこそが社員や株主など利害関係者の幸せにつながる」と考える永守氏にとって、成長の停滞は許しがたいものだった。「5~6人の集団指導体制で会議ばかりやる時間をかけられない」(同)。その後の業績は横ばいが続き、2月4日の会見ではついに「(集団指導体制は)創業以来で最大の失敗」と公言するに至った。
吉本氏は自動車部品大手カルソニックカンセイ(現・マレリ)や日産自動車を経て、2015年に特別顧問として日本電産に入社。同年からは子会社の日本電産トーソク社長や日本電産副社長として事業再生などの経験を積んでいたが、吉本氏の社長登用は早すぎたのかもしれない。
2月4日の会見で永守氏は「日本電産は売り上げ1兆5000億円規模の会社で、世界40数カ国に展開しているが(吉本氏は)それらの事業を全部見きれていない」「文系で販売には強いが、ものづくりに弱かった」などと振り返った。吉本氏は2018年の社長就任時から海外事業を担当していたが、「(吉本氏には)まだまだ理解が不十分な事業もあり、本人も悩んでいたようだ」(日本電産幹部)という声も上がる。
業績が停滞していた2019年7月以降、吉本氏は北米を拠点にして、家電や産業用モーター、車載モーターなどをテコ入れするために海外を飛び回った。海外で実績をつくらせ、吉本氏の求心力を高めることが狙いだったが、その頃には永守氏は「もう君も限界で、投資家にも迷惑がかかるから、体制を変えたいと思う」と吉本氏に社長交代の可能性を告げていたという。
過去には、2013年から日本電産入りし、ルネサスエレクトロニクスの社長に転じた呉文精氏のような例もある。呉氏も当時、永守氏の後継者と目されたが、結局は2015年に日本電産を去った。2019年末に関氏の日本電産入りが判明した際は、吉本氏も呉氏同様に退職するのではとの観測も出た。
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