日米安保60年で祖父の轍を踏む安倍首相の現在 当時の岸信介氏は米国産農産品を買っていた
やがてこの戦争に勝利した段階で、欧州にはソビエト連邦が進出してくることは、すでにヤルタ会談でその道筋も見えていた。それはすなわち共産主義の台頭であって、いずれは冷戦構造ができあがっていく。
その時に、どれだけ多くの欧州諸国を西側に取り込むことができるか。そこで戦後復興支援としての食糧援助が役に立つ。そのための先を見越した食糧増産だった。実際にアメリカのマーシャル・プランが功を奏して、西ヨーロッパ諸国は確実に復興を遂げていく。
だが、戦後も10年が経つと、欧州でも独自で食糧が供給できるようになった。そうなると、アメリカが取り組んできた食糧の増産体制は、むしろ食糧余剰を生むことになる。それも年々、余剰は増していく。そのためには、新しい市場が必要になる。
日米同盟60年のもう1つの側面
そこへ現れたのが日本だった。戦後の食料援助は日本にも向けられていた。そこでは学校給食にはじまり、新しい世代がパンをはじめとする洋食の味を覚えていく。小麦やトウモロコシ、大豆といった穀物はアメリカのほうが生産効率ははるかに高く、日本にとっても国内生産よりも安く手に入る。双方の利益が合致する。
言い換えれば、欧州に向かうはずだった売れ残りの穀物の捌け口として日本の市場が必要だった。日本は食料自給率の低下と引き替えに、アメリカの余った穀物を買うことを約束した。その調印が、ちょうど60年前にホワイトハウスで行われたことになる。
血は争えない、とはこのことだろう。
アメリカの売れ残った穀物を買うために条約に調印したおじいさんから60年が経っても、同じ首相の立場でまったく同じことをやってみせている。
これこそが日米同盟60年の側面であり、自給率が37%にまで下がった日本の食料安全保障もアメリカが握っている。だから、牛肉を買え、トウモロコシを買え、と言われたら断れないのである。
記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
印刷ページの表示はログインが必要です。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
無料会員登録はこちら
ログインはこちら