初詣でにぎわう「京急大師線」、波瀾万丈の歴史 参拝のついでにたどれる廃駅や廃線の跡も
これに対して鉄道省は、鶴見臨港鉄道の旅客運輸営業許可に際し、「旅客営業開始前において海岸電気軌道より所属軌道並びに付属物件の買収または会社の合併を求めたるときはこれを拒むことを得ず」(筆者要約)という付帯条件を付けた。
結局、鶴見臨港鉄道はこの条件を受け入れ、海岸電軌が抱えていた193万円の負債もろとも路線を引き受けたというのが合併の経緯である。
こうして海岸電軌は鶴見臨港鉄道軌道線となったものの、同じ会社で、ほぼ並行する鉄道線と軌道線の旅客営業を行うメリットが少ないこともあり、1937年に産業道路の拡幅工事が行われるのを機に軌道線は廃止された。
鉄道事業は消えても会社は存続
その後、鉄道線も1943年に戦時買収により鉄道省によって買収されて省線の鶴見線となり、鶴見臨港鉄道の鉄道事業は消滅したが、鶴見臨港鉄道という会社は戦後も存続し続けた。同社は、旧浅野財閥系の東亜建設工業の完全子会社として不動産賃貸、売買等を営み、2019年4月1日付で東亜地所株式会社を吸収合併して、「東亜リアルエステート」と商号変更した。
今回、同社に話を聞いた中で興味深く感じたのは、鶴見臨港鉄道には、矢向駅までの路線延長計画があったということだ。同じく旧浅野財閥系の鉄道路線だった南武鉄道(現・JR南武線)と接続して、環状線とする意図があったらしい。
東亜リアルエステートの不動産管理部長、長松健氏は「この矢向への延長線計画があったからこそ、鶴見線の鶴見駅は、東海道線を跨いで西口側につくられた。また、鶴見駅から森永製菓鶴見工場(鶴見区下末吉2丁目)の手前まで、用地買収も実際に進められた」と話す。
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