――そんな逆風にあっても、水牛を諦めたくなかったんですね。
僕の実家は商売をやっていて、そちらはうまくいっていました。親族が家業を継ぐのが当たり前の時代だったら、否応なくそっちの仕事を継がされただろうと思います。
でも今みたいに、仕事も住む場所も自由に選べる時代に、家の商売はなんか違うと思って、モッツァレラに出会ったときにピンときたんです。そのおいしさを知って、自分で満足できるものを作れるようになったら、ほかの仕事は考えられなくなりましたね。
――それから北海道で再起を果たされた。
宮崎の後、北海道の水牛牧場で7カ月ほど働いた後、道内の別のところで自分でも水牛を飼育しながらモッツァレラを作っていました。そして大きな市場をと考え、関東進出を狙っていたんです。
そんなとき、音楽プロデューサーの小林武史さんが木更津で有機農業をしていると知りました。小林さんは山形出身で、アルバイト時代にお世話になった山形のレストラン、アル・ケッチャーノの奥田(政行)さんが知り合いだったので紹介してもらったんです。そして小林さんに、僕が作ったモッツァレラを食べてもらったら、ピンときたみたいで。作りたてを食べることの価値をわかってもらえて意気投合し、今ここにいます。
その日のうちに食べてくれる人にしか売りたくない
――東京から車で1時間ほどのこの農場に拠点を移したのは、より多くの人にその価値を伝えたかったから?
そうです。まだほとんどの日本人が、作りたてのモッツァレラの味を知りませんからね。本物のおいしいものを求めるお客さんはやはり関東に多いと思うんです。毎日、夜中の2時に起きて作っているモッツァレラを最高の状態で食べてもらうために、お客さんと近い距離にいることはとても大事ですね。
よく、「どのくらい日持ちしますか?」と聞いてくる人がいるので、そのたびに悔しい思いをしています。すぐに、「どれだけ早く食べられるかを考えてください」と返しますけどね、地団駄を踏みながら(笑)。
「明後日、食べたい」という人には、「明後日、買いに来てください」とお願いするほどです。作りたてのモッツァレラの価値を理解して、その日のうちに食べてくれる人じゃなければ売りたくない。それでも買い求めてくれる人がたくさんいますからね。もうすぐ搾乳室もできますし、頭数も順調に増えているので、10年後にはビジネスとして順調に回っていくだろうと思っています。
記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
印刷ページの表示はログインが必要です。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
無料会員登録はこちら
ログインはこちら