時々桜井さんが、実家へ母のものを取りに行くと、近所の人は心配して声をかけてくれるが、母からは「認知症になったことは言わないで」とクギを刺されている。母は、桜井さん以外の人と交流する気がなくなり、何でも否定するようになっていた。
「母の友人で『会いたい』と言ってくれる人もいますが、母が『会いたくない』と言うので、私がお断りしています。子育てはどんどんできることを増やしていく作業なのに対し、介護はどんどんマイナスにしていく作業。母は、財産や交友関係など、持っていたものを、どんどん手放していくんです」
近所の人に「庭の木が飛び出てるよ」とか「お母さんと一緒に暮らしてあげられないの?」など、悪気なくかけられる言葉が、責められているように感じた。
「誰を頼っていいかわからず、手探りでなんとかやってきました。4年間遠距離介護を続けましたが、すべてを理解してくれる人も、愚痴を聞いてくれる相手もおらず、もう限界でした」。
桜井さんは、父をがんで亡くしているため、毎年健康診断を受けるようにしているが、ここ数年は毎回再検査になる。
「乳がんに胃潰瘍、リウマチ、大腸がんにも引っかかって、先月再検査をしました。やはりストレスでしょうか。ちょっとしたケガが化膿しやすくなりましたし、胸が締め付けられる感じがして、胃がキリキリするんです。なぜ母が認知症になったのかを考えて、涙が出て眠れない時期もありました」
母が認知症になったことは親戚から伝わっているはずだが、妹から連絡は一切なかった。
「おばあちゃんのところへ行けばいいよ」
今年2月、母を近所の施設に呼び寄せた。自宅から自転車で行ける距離だ。桜井さんの夫は子育てには協力的だが、土日も仕事に出ていることが多く、だんだん出張が増えてきた。母を呼び寄せようと思ったのは、去年夫から「会社のメンバーが減るので、ますます家にいられる時間が短くなる」という話をされたことと、自分も限界を感じていたからだ。
「東京に呼び寄せた途端、母のアンパン好きが爆発しました。ミニアンパンを1日2個以上食べないと不安になるというので、切らさないように毎日買って届けています。おかげで母は4キロも太りました」
呼び寄せる前は、1カ月に数回しか会っていなかったが、呼び寄せてからは毎日会っているのに、一度行くと3時間は帰してもらえない。しかし、これまでずっと母を優先してきた桜井さんは、「今後は娘のことを優先したい」と言う。
「遠距離介護が始まった頃、娘はちょうど小学校に入学したばかり。なのに当時は娘のことを考える余裕がありませんでした。母に関係することを調べたり書類を書いたり。あれが終わったらこれをやって……と、こなすのが精一杯で、娘が学校からもらってきたプリントや連絡帳を見る暇もない。いつしか言い争いが増えていて、1~2年生の頃は、私と手もつなごうとしませんでした」
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