緒方貞子さんの「難民支援活動」が残した意義 UNHCRでの活動を通じて私たちが学ぶこと
彼女の仕事に関して、とくに注目したい判断は、ボスニア紛争時のサラエボへのUNHCRによる食料の空輸作戦である。数年間にわたって続けられた背景には、国連安全保障理事会から厳しい批判を浴びても本質を見失わずに、「押してダメなら引いてごらん」という政治問題の解決の手法をいくつか選択したことだ。
ちなみにその空輸作戦については、在日米国大使館・領事館が今年10月30日に発表した「緒方貞子さんの逝去に際して」という文面の中でも取り上げられている。
また、フツ族とツチ族の対立が本質であったルワンダ内戦による難民問題への判断は複雑である。最初はフツ族武装勢力や政府軍の兵士たちは、ツチ族ばかりでなくフツ族の穏健な人たちも合わせて100万人近くを殺害した。
その後、ツチ族が首都を占拠したことがきっかけとなって、フツ族武装勢力や旧政府軍の兵士たちは報復を恐れて、一般市民を率いて隣国ザイールに逃れた。それによる難民は100万人規模となり、難民への援助はフツ族武装勢力らの温存に手を貸すことにもなるので、多くの批判を浴びた。そして「国境なき医師団」まで撤退を表明した状況での判断だった。
難民への教育の重要性を説いた
貞子さんは活動を通じて、難民キャンプはあくまでも一時的なものと捉えており、無事に本国に帰ってからの生活の確立にもいろいろ言及され、とくに「共生」と「教育」を強調されていた。共生に関しての一例として、ボスニア紛争後の1996年に着手した「ボスニア女性イニシアチブ」という事業がある。
2000年の年末にサラエボの街で成果を展示するバザーも開催され、戦火を交えたムスリム、クロアチア、セルビアの3つの民族が力を合わせて作った人形も出品された。教育に関しては、「難民が祖国に帰って新しい生活を始めるためには教育が大切」と考え、UNHCR創立50周年にあたり「難民教育基金」を創設し、合わせて後に理数教育の充実も指摘された。
さらに、「人間の安全保障委員会」の設立に際して、「長期にわたって同じ社会の中の集団の間に不平等があることは、人道的、政治的な危険をもたらす根本原因だと考える」、と公平な視点を課題として取り上げられた。
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