「中学通学は1カ月だけ」ある少女が掴んだ転機 不登校の自分を責め、摂食障害に…
――「摂食障害」はその後どうなったのでしょうか。
あるとき、母の同僚から「あなたの身体が心配だから、これとこれだけは食べてみない?」と言われました。不思議なんですが、そのときのその方の言葉は私のなかにスッと入ってきたんです。
学校へ行かなくなってから、私は「学校ってなんだろう」「生きるってなんだろう」ということを考え続けていました。
そして「食べない」ことを選び、それをある程度自分で納得がいくまでやりきったときに「死のうと思ってやっていたわけじゃない、これからどうやって生きていこう」ということを考える段階になっていたんです。
だからこそ、アドバイスとして受けいれられたんだと思います。
私のなかで食べない行為は「そうしなければ生きられない」と思ってしていたことなので、そのさなかにそれを否定するようなことを言われたら、その人自身のすべてを拒否していたでしょう。
同じ言葉でも、受け取り方は、タイミングによってまったくちがったものになっていたんじゃないかと思います。
それをきっかけに「何なら食べられるかな」ということから考え始めるわけですが、その行為が私にとっては、自分のために自分で何かを選ぶ初めての経験のように感じられました。
生きていくということは、まわりに合わせるのではなく、自分で感じ、考え、自分で選んでいけばよいのだと思えたことで、それまで抱えていた生きづらさがずいぶん楽になりました。
そのことに気づけたことは、私の不登校体験をふり返るうえでも、またその後の人生を考えるうえでも非常に大きな出来事でした。
16歳で「ピースボート」に乗船
――高校進学については?
身体が元気になったころには、高校受験の時期はもうすぎていたんです。
どうしようかと考えていたときに母の知人から聞いたのが「ピースボート」でした。大型客船に乗り、約3カ月間かけて世界を一周する船旅。
16歳でそんな経験をするのもおもしろいかもしれないと思い、中学卒業となった春にすぐ説明会に行き、その場で12月に出発するクルーズに申し込んできちゃいました。
「何かしたい」というエネルギーがしっかり充電できていたんだと思います。