麒麟・田村「本が200万部売れても」辛かった理由 バスケが救った「ホームレスバブル」後の人生
「普段は電車乗ってようが街歩いてようが誰からも声をかけられないのに、バスケ会場でだけは僕すごい人気があるんですよ(笑)」
それはバスケ界が今のような盛り上がりを見せるずっと前から、田村さんがひたむきに向き合ってきた証しだろう。
自分だけは自分のファンで
とはいえ、もちろん本業であるお笑いをおろそかにする気持ちはまったくない。お笑いが好きという気持ちがなくなることはないし、相方である川島さんとも舞台に立ち続けたいという。
「お笑い界には、面白い、勝てへんなって人がいっぱいいます。笑いに変えるアクセルを思いっきり踏める人というか。例えばロケで素人の人をいじる場面があっても、僕は『ツッコンでこの人が傷ついたらどうしよう』と思ってしまう。噛んだ人に『噛んでるやん!』ってツッコむところも『僕も噛むし大丈夫』って言ってしまう。まあ、つまり……根が優しいんです(笑)」
そんな自分を歯がゆく思う時期もあった。周囲と比較して、“らしくない笑い”に取り組んだ時期もある。
「でも、ほんとに最近なんですけど、『僕にしか出せない優しいロケ』でもいいのかなって(笑)。僕は僕だし、ほかの芸人とは違う。無理に強くツッコむ必要もないと思えるようになりました」
そんな穏やかな心の変化と自信は、いったいどこから湧き出るようになったのだろう。そう尋ねると田村さんは少し黙ったあと、「自分だけは、自分のファンでいてあげようかなと思って」と笑った。
「芸人ってファンがつくじゃないですか。すごく大事な存在なんだけど、いちばん応援して期待してあげるファンは、自分自身じゃないといけないなって思うんです。だって自分が好きじゃなければ、自信をもって人にも薦められないし」
それは自身の「好き」を10年発信し続けたからこその気づきかもしれなかった。ファンはいつか離れていくし、別の芸人に好きが移ることもある。それはごく自然なことで誰にも止められない。でもなにがあっても自分だけはファンでいることを諦めないでいたい。
芸能界の酸いも甘いも経験し、やっと自分らしい仕事をつかめるようになったいま、「40歳にしてスタートラインに立っている気分だ」と田村さんは言う。
「お金とか、いろいろなものがゼロになって、バスケという僕らしい方向性も見えてきた。足腰が鍛えられてきているなという実感があるんです。あとはもう進むだけかなと」
最近は自身の趣味のひとつでもあるファッション業界にも興味があると目を輝かせる。
お笑いライブの合間に行われた今回の取材。楽屋から川島さんと共に、舞台に向かうその足取りは、確かな自信に溢れていた。
藤野ゆり(清談社)=取材・文 澤田聖司=写真
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