麒麟・田村「本が200万部売れても」辛かった理由 バスケが救った「ホームレスバブル」後の人生

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今、当時の状況を冷静に回顧する田村さんは自分の実力不足だったと静かにこぼす。

「そこから仕事が一気に減ったのは、単純に世間が僕に飽きた、というのもあるだろうし。僕は才能がポンと開花するのではなく、何回も経験して場の空気をつかんでいくタイプなので、『ホームレス』で一気にトップクラスの人と絡まなあかんところまで押しあげられて、ただただテンパってしまったんです」

その後、芸人としての仕事が減少するなかで田村さんを救ったのは、学生時代に夢中になった「バスケ」だった。

「バスケと心中しよう」

時間に余裕ができたことで学生時代に夢中になったバスケ観戦を始めたという田村さん。しかし、芸人の先輩にはある忠告をされていた。

「芸人の仕事にもスポーツ枠ってあるんですけど、ぶっちゃけると『仕事が欲しいなら、野球、サッカー、競馬の3つのどれかにしとけ』って先輩に言われたんです。『バスケじゃ仕事につながらん』と」

まだバスケの国内リーグ『Bリーグ』も発足していない10年前、日本バスケットボールの未来はまだまだ発展途上で現在のような人気にはほど遠かった。

「先輩は僕のためを思って忠告してくれたんです。でも、たとえ仕事にならなくても僕はバスケがよかった。元がアホなんで、興味ないことはできない。もう腹くくって『バスケと心中しよう』と思いました」

そこまでバスケにこだわるのには、何か理由があったのだろうか。

「中学時代、バスケが大好きだった僕にお兄ちゃんがマイケル・ジョーダンのTシャツを2枚プレゼントしてくれたんですよ。そのときはわからなかったけど、貧乏で、まだ大学生だった兄ちゃんがお小遣いをはたいて安くはないTシャツを買ってくれた。高校時代も働こうとする僕に『家のことは俺がなんとかするから、バスケだけは3年間続けてくれ』と言ってくれた。だから僕はずっとバスケができたんです」

兄が時間やお金を犠牲にしても与えてくれた「バスケットボール」は、田村さんの人生のかけがえのないもののひとつとなった。だからこそ、バスケで恩返しがしたい。そうして約10年。バスケ情報を発信し続ける稀有な芸人として、バスケ関連の仕事が急増し、YouTubeチャンネルも開設。バスケファンからも支持を集めるようになった。

YouTubeチャンネル「麒麟田村のバスケでバババーン!」。バスケに特化したチャンネルで同名のTwitterアカウントでも発信を続けている。
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