麒麟・田村「本が200万部売れても」辛かった理由 バスケが救った「ホームレスバブル」後の人生

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「僕らの時代ってがんばらないのがかっこいい、って空気があって、ケダルイ奴がモテたんですよ。体育祭とかもみんな斜に構えてたから、僕はそのなかだったら熱くて、ダサい奴だったかもしれない。でもいま振り返ってもそれでよかったと思う。だって全力で何かを達成した思い出のほうが楽しいでしょ。あのときダルがってた奴は、きっとみんな後悔してますよ(笑)」

胸の奥の情熱を隠さない田村さん。それでも芸人の夢だけは、周囲にはなかなか打ち明けられずにいた。高校卒業後はNSC(吉本の養成所)に入所。そこでのちの相方である川島 明さんと出会うことになる。

相方との運命の出会い

相方の川島さんとの出会いについて尋ねると、まるで恋人の話をするかのように、「運命」と田村さんは言う。

「養成所に入ったとき、僕は貧乏で汚いじゃないですか。川島くんは引きこもりでオタクで汚いじゃないですか。ど貧乏な僕が声をかけるのを迷ったくらい(笑)。だから、気になってしまったんですよね」

相方というのは不思議なものだ。多くの場合、相手がどんな人物かもわからないまま養成所に同時期に入ったというタイミングの妙によって、一生を共にするような仲となるのだから。

「NSCは授業が始まってすぐにネタ見せがあったり、コンビ組んだりするんです。たまたま僕が川島くんの前に組んでいた人と解散したタイミングで、川島くんが授業でネタ見せして。もう見つけたー!って感じじゃないですか。でも僕は運命を感じているのに、川島くんは何も思っていないんですよ……」

そんな出会いを経てコンビとなった「麒麟」は、芸歴2年目にしてM−1の決勝にあがり、そこからはトントン拍子で「人気芸人」の地位を確立していった。

■爆発的にヒットした『ホームレス中学生』

そして田村さんの人気を決定づけたのが、前述の『ホームレス中学生』である。バラエティで自身の幼少期の貧乏ネタを話していたのが、出版社の目にとまり書籍化に至った。『ホームレス中学生』の爆発的ヒットは、本業であるお笑いにも少なからず変化をもたらした。

「僕自身は変わっているつもりはない。でも何を言っても『金持ってるやん。2億稼いでるやん』という空気になってしまうんです。典型的だったのは僕らが大阪の劇場に出たとき。客席からヤジが飛んだんですよ。おばちゃんが『この税金泥棒!』って。まあぼく印税もらっただけで、税金泥棒は一切してないんですけど(笑)」

これまでウケていたものが、ウケない。それが単なる観客の嫉妬ややっかみからくるものなのか、それとも自分がどこか天狗になっているせいなのか、原因がわからず焦燥感だけが募る日々だった。

「それについて改めて話し合うことはなかったけど、川島くんにとっても、つらい時期だったと思います」

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