MMTが「就職氷河期世代」に支持される深い理由 新理論による「現実」対「虚構」の歴史的転換点

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MMTの理論は、この正しい貨幣論を「前提」として構築される。MMTは、貨幣論という理論の「前提」からして、主流派経済学とはまったく異なっている。それゆえ、MMTが導き出す政策的含意もまた、当然にして、主流派経済学とは大きく違ったものとなる。

その結論だけ言えば、主流派経済学は、マクロ経済運営の中心に、中央銀行による金融政策を位置づけている。他方、財政政策の評価については、消極的あるいは否定的である。金融政策が「主」であり、財政政策は「従」という扱いなのである。

これに対して、MMTは、この主従を逆転させる。マクロ経済運営で中心的な役割を果たすべきは、財政政策なのである。中央銀行による金融政策も重要ではあるが、その役割はあくまで「従」としての位置づけとなると言ってよい。

主要先進国における経済政策は、おおむね、主流派経済学の理論に従って運営されてきた。とりわけ1990年代後半以降は、日米欧いずれにおいても、金融政策中心の傾向が顕著に強まった。

しかし、この金融政策中心のマクロ経済運営は、金融市場の不安定化(資産バブルとその崩壊の繰り返し)や低成長、あるいは所得格差の拡大といった結果をもたらした。とりわけ、2008年の世界金融危機、その後のユーロ危機、あるいは日本の長期デフレによって、主流派経済学が処方する金融政策中心のマクロ経済運営は失敗に終わったということが、白日の下にさらされたのである。

このため、世界金融危機以降は、ポール・クルーグマン、ローレンス・サマーズ、あるいはオリヴィエ・ブランシャールなど、主流派に属する経済学者の中からでさえ、金融政策の限界を認め、財政政策を重視すべきだという声が上がってきている。

「科学革命」を恐れる経済学者たち

しかし、彼らは、財政政策の重要性を認めたとはいえ、主流派経済学が貨幣論という「前提」から間違っていたことまでは、いまだ認めていない。もし、それを認めてしまったら、主流派経済学の理論体系が根底から崩壊し、MMTに取って代わられてしまうだろう。トーマス・クーンの言った「科学革命」が経済学において勃発するのだ。

だから、クルーグマンもサマーズもブランシャールも、今のところ、MMTを批判的に評価し、受け入れようとはしていない。彼らは、主流派経済学の既存の枠組みを破壊することなく、その中で「財政政策が主、金融政策が従」という結論を導き出そうとしているように見える。要するに、主流派経済学の延命を図っているのだ。

日本の経済学者や評論家、あるいは政策担当者の大半も、海外の主流派経済学者の虎の威を借りつつ、MMTを「極論」「暴論」扱いしている。その中には、消費増税論者がMMTを批判するのに、消費増税に反対するクルーグマン、サマーズあるいはブランシャールの名を引いてくるなどという滑稽な例すら見られる。

だが、主流派経済学が間違った貨幣論のうえに成立している以上、その枠組みの中で、結論だけ変えるような論理操作を施したところで、何の意味があるというのだろうか。そのような姿勢は、研究者として不誠実であると言うべきではないのか。

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