「バーニーズ」潰したアメリカ消費の劇的変化 そもそも富裕層狙いなんかではなかった
バーニーズとディーン&デルーカは近年、それぞれの原点から大きく外れ、存在価値を低下させているようだ。お高くとまったチェーン店になり、画一性を好む世界の富裕層のニーズに応え、香港やドバイにマンハッタンやローマのような姿を求めている。
こうした変化が、ニューヨークという街の姿を変えるだろう。ニューヨークは冷たく長い、悪い意味での因果応報の局面に入ったようだ。長い間、多くの人がそれを避けるためにこの街にやってきた普遍性を受け入れる代わりに、この街を特別にした要素を失っている。
小売業を襲うさまざまな変化
現在はタイの不動産会社が所有しているディーン&デルーカは、この変化にどっぷりとはまり、取引業者や従業員への支払いすらできなくなっている。店舗の陳列棚にはソーダ水のボトルなどわずかな商品が並ぶだけで、まるでゴーストモールだ。
バーニーズは8月5日、米連邦破産法11条(日本の民事再生法に相当)の適用を申請し、アメリカの全22店舗のうち15店を閉店すると発表した。
両社が苦境に陥った背景には、行きすぎた多店舗展開、買い物の方法の急激な変化、ニューヨークの不動産賃料の高騰がある。バーニーズのオーナーでヘッジファンドの元マネジャー、リチャード・ペリーでさえも、マディソン街の旗艦店の賃料が前年の2倍近い年間約3000万ドルに高騰するのを避けられなかった。
そして、新たな発見と挑戦を重視した小売文化を生み出したニューヨークでも、そこかしこの住居の玄関口にアマゾンの段ボールが置かれるようになった。私たちはあまりに利便さを追求するようになったため、独自性が戻ってきたとしてもそれを受け入れられるとは思えない。
ディーン&デルーカが誕生した時代は、需要はあからさまにつくられたものではなかった。1960年代初頭にソーホーの工業ビルのロフトスペースに暮らし、市からの立ち退き命令にあらがったアーティストの卵たちに向け、店はオープンした。
ディーン&デルーカをソーホーの終わりの始まりだと回想するのは簡単だが、同社は反主流派の人々と運命を共にした。創業パートナーの1人で店舗のデザインをしたアーティストのジャック・セグリックは、内装に白のグラデーションを施してトマトやイチジク、野菜の緑が映えるようにし、ギャラリーや博物館のような店を作った。