アメリカ人が日本の野球好きに違和感抱く理由 「応援」に表れる日米の野球文化のちがい

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ただし、それは基本的には打者が打席に入るまでに限られる。いったんプレーが始まると、観客は、そのプレーを見ることに集中する。その結果、ファインプレーなどが飛び出せば、(場合によっては相手チームの選手に対しても)歓声を送って称え、エラーやミスが出てしまえば容赦ないブーイングを浴びせることになる。つまり、つねにメリハリがある状態だ。

アメリカでは、選手個人に対しては、“応援”というよりも“邪魔”の方が多く行われる。日本の野球の場合、自分がひいきにしている選手が、より力を発揮してもらうことを期待し、まさに、その選手を鼓舞するために“応援”をするが、アメリカの場合、選手個人に対しては“応援”ではなく、どちらかといえば、相手に大きなプレッシャーを与えたり、集中力を削ぐことを目的としたアクションが行われることが多い。

前述の大谷選手の“応援”が注意されたのも「静かに」するようにという点もあるが、それ以上に「ホームグラウンドで、ホームチームの選手の“邪魔”をしてはならない」といった意味合いも大きい。

アメリカ人が大事にする「家族のつながり」

また、基本的に応援は、選手個人というよりもチームに対して向けられる。もちろん、選手個人に対する声援も、まったくないわけではないが、全体的には非常に少ない。アメリカの球場で聞こえる声援の多くはチーム名が強調されており、打席やマウンドに上がる選手個人ではなく、つねにチーム全体に向けられた応援であることが多い。

ファミリーやコミュニティーを強く優先するアメリカの人たちにとって、地元のチームを応援することは、そこに対する帰属意識をそのまま表している。むしろ、その強さは日本人以上なのではないかと思う。

よくアメリカは“個”の国だとも言われるが、その裏で実は強く、どこかに帰属する意識を持っている。それは野球観戦における“応援”にも表れているのだ。

熊村 剛輔 セールスフォース・ジャパン DX ビジネスコンサルティング ディレクター

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くまむら ごうすけ / Gosuke Kumamura

1974年生まれ。プロミュージシャンからエンジニア、プロダクトマネージャー、オンライン媒体編集長などを経て、大手ソフトウエア企業のウェブサイト統括とソーシャルメディアマーケティング戦略をリード。その後広報代理店のリードデジタルストラテジストおよびアパレルブランドにおいて日本・韓国のデジタルマーケティングを統括後、クラウドサービスベンダーにてエバンジェリストとなり現在に至る。

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