最低賃金「引き上げ反対論」が無知すぎて呆れる 「国際比較のワナ」「インフレ」の論理的な破綻

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しかしそれは、歴史的事実に明らかに反しています。

最低賃金を導入した1999年以降、イギリス政府は最低賃金を順次引き上げ、最低賃金は20年間で2.2倍になりました。その影響は、徹底的に検証されています。

その分析によると、最低賃金での雇用が多い業界でも、雇用への影響はあまりなく、廃業率も向上せず、単価も上がっていないのです。よって実質賃金が上がっています(The Impact of the National Minimum Wage on Profits and Prices, LSE)。

生産性の議論をするときは、単なる理屈や個人の感覚的な話や意見ではなく、こう言った学問的な検証を見るべきです。

私の記事のコメント欄でも、最低賃金が上がればその分だけ物価が上がるから、何も変わらないとよく書かれます。しかし、物価の構成要素は賃金だけではありませんので、賃金が5%上がっただけで物価が5%上がることはありえません。アメリカにおいては、最低賃金を10%引き上げた場合、物価は0.4%しか上がらないという研究も発表されています。この場合、やはり実質賃金が上がります。

オックスフォード大学による、1348年に欧州で起きたペストの後の分析もすばらしいです。ペストの影響で人口が約50%減った10年の間に、男性の賃金は1.8倍も増えたのに、物価は上がりませんでした。需要が変化したからです。これから日本が迎える規模の人口減少の前例は、ペストの時代しかありませんので、この分析は非常に貴重なものです。

イギリス政府の依頼で行われた科学的な分析によると、イギリスでは主に「(4)より高い商品に切り変える」対応と、主にブラック企業が「(2)利益を減らす」ことよって、生産性が向上しました。これは私の意見ではありません。データ分析の結果なのです。

人口減少という大危機にもっと建設的な議論を

人口減少・高齢化危機を迎える以上、生産性向上の問題は、検証をすることもなく、海外の科学的な検証も参考にすることもなく議論するべきではありません。もっともっと真剣に取り組むべき大問題なのですから。

最近は「常識」を訴える人も増えています。「常識的に考えれば、生産性が上がってはじめて最低賃金が上がるのであり、逆ではない」などと主張しています。

200年前までは、「常識的に考える」と、日本からイギリスまで金属の乗り物の中に入って、約12時間空を飛べば到着できるなどと主張しても、ありえないと一蹴されていたに違いありません。蒸気機関車が登場したころ、そのスピードでは人間は息ができず窒息するというのが、まぎれもない「常識」だったのです。

「常識的に考える」とは、論理的思考の最大の足かせで、思考停止の代名詞以外の何物でもありません。

次回は、「『生産性が上がる』結果として、『最低賃金が上がる』というのが、本当に正しい因果関係なのか」を検証します。

デービッド・アトキンソン 小西美術工藝社社長

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David Atkinson

元ゴールドマン・サックスアナリスト。裏千家茶名「宗真」拝受。1965年イギリス生まれ。オックスフォード大学「日本学」専攻。1992年にゴールドマン・サックス入社。日本の不良債権の実態を暴くリポートを発表し注目を浴びる。1998年に同社managing director(取締役)、2006年にpartner(共同出資者)となるが、マネーゲームを達観するに至り、2007年に退社。1999年に裏千家入門、2006年茶名「宗真」を拝受。2009年、創立300年余りの国宝・重要文化財の補修を手がける小西美術工藝社入社、取締役就任。2010年代表取締役会長、2011年同会長兼社長に就任し、日本の伝統文化を守りつつ伝統文化財をめぐる行政や業界の改革への提言を続けている。

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