中国が飛躍的に発展した「宋代と現代」の共通点 「史上最悪の弱腰政治家」評価の秦檜と習近平

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また宋代に限りません。別に類似の様相を示した時代がありまして、例えば18世紀の清代です。清朝の場合は、「澶淵体制」のような対等な国際関係にみまがう秩序体系ではありませんでしたが、それでも各地の多元的な勢力が共存できる体制を作り上げ、その平和の中で経済的な繁栄を謳歌しました。この清朝の体制は、現代中国の直接の出発点になっています。

もっとも、基本的には中華思想の国なので、宋の人々が「澶淵体制」の状況に満足していたわけではありません。それを象徴するのが、秦檜という政治家に対する評価です。

売国奴の評価を恐れる習近平

宋は12世紀前半、北方のツングース系のジュシェン(女真)族が打ち立てた金王朝によって首都の開封を奪われ、南下して臨安(現杭州)で政権を再興します。これ以降の宋は、南宋と呼ばれますが、その体制の確立に尽力したのが秦檜という宰相です。

秦檜は金との和睦を主張し、南宋の体制維持を図りました。金の強大な軍事力に無理に対抗しようとすれば、最前線に方面軍を据える必要があり、それは政府の中央権力・政体そのものを危うくします。

国内政治と対外的なパワーバランスを考えれば、これは政治家として正しい判断だったと思います。本質的には「澶淵体制」の復活だったからです。実際に南宋は、版図こそ狭小でしたが、やはり東アジア随一の経済大国としての地位を保ち続けました。

ところが、秦檜は仇敵に屈した売国奴、また異種族にへつらった媚外派とみなされ、中国史上、下劣極まりない人間、許せない人物と糾弾されています。その死後に建てられた像も、唾を吐きかけられたり、鞭で打たれたりしています。儒教の教義、中華思想を前提とすれば、その姿勢はあまりに弱腰で情けなく映ったのでしょう。

これもやはり宋代ばかりではありません。同じく経済的な繁栄を誇った清朝は、19世紀に列強の圧力を受けました。そのなかで何とか情勢を安定させようと、外敵に譲歩、妥協した人々は、みな秦檜よろしく売国奴的な扱いを受けました。李鴻章しかり、汪兆銘しかり。ほかにもたくさんいます。

以後の中国は、経済大国だけでは不可となりました。経済をたとえ多少は犠牲にしても、外に屈しない姿勢をアピールしなくては、政治家としてやっていけなくなっています。中国共産党の歴史は、その一典型でしょう。

そして現在、習近平国家主席は軍事強国をめざしながら、米中貿易戦争で安易にアメリカに屈しようとしません。これも究極的には、「秦檜になりたくない」というような動機が働いているとみては、うがちすぎでしょうか。

岡本 隆司 京都府立大学文学部教授

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おかもと・たかし / Takashi Okamoto

1965年生まれ。京都大学大学院文学研究科博士課程単位取得退学。博士(文学)。『属国と自主のあいだ』『明代とは何か』『近代中国と海関』(共に名古屋大学出版会)、『世界史とつなげて学ぶ中国全史』『中国史とつなげて学ぶ日本全史』(共に東洋経済新報社)など著書多数。

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