所有率世界7位、スイスで銃乱射を聞かない意味 東大の学生と国際政治の根本について考える
小原:それでも、アメリカは銃社会であることをやめようとしない。アメリカの最高法規である合衆国憲法には、武器の所有について次のような規定がある。
小原:ちなみに、世界を見渡してみて、銃の所有を国民の固有の権利であると考える国は非常に珍しいと言える。アメリカ以外では、メキシコとグアテマラの2カ国のみだ。
この規定については、「民兵」や「武器」の解釈を含めて論争が続いたけれど、最高裁で争点となった1つの議論は、前半部分と後半部分のどちらを強調するか、というものだ。
前半部分を強調すれば、「武器を保有し携帯する権利」とは、民兵および州兵制度に属する一員としての集団的な権利である、となり、後半部分を強調すれば、修正第1条の表現の自由などと同様に、人民(the people)の権利であるという主張となる。前者が「集団的権利説」、後者が「個人的権利説」と言われる。
2008年、アメリカ最高裁は「個人的権利説」を採用し、ワシントンDCの拳銃規制が憲法修正第2条に違反するとした違憲判決を下した。
アメリカという国では、自分の身は自分で守る、そして、そのために銃を所有する権利は市民権の欠かせない一部だという社会通念が、建国以来根強く存在してきた。もちろん、都市部と地方とでは銃規制に対する考え方はずいぶんと違っている。
けれど、これだけ銃がらみの事件が頻発していてもなおアメリカが銃社会をやめようとしない背景には、アメリカ最大のロビー団体と言われる「全米ライフル協会(NRA)」の強固な反対とその政治的働きかけがあると指摘されてきたものの、やはり憲法の規定をめぐる議論に見られる自衛権重視の価値観も存在しているようだ。
それは、銃規制が徹底している日本の価値観とは大いに異なるものだ。日本では、社会から銃を一掃し、警察だけが銃を所持することで、安全を確保しようとする。両国では、銃という「力」に見出す「価値」に大きな違いがあり、そのことが国内秩序の違いも生んでいるのだ。そこで、皆に問いたい。アメリカではなぜ「武器所有の権利」が認められてきたのだろうか。
武器所有の権利が認められた理由
霞が関:アメリカ人が銃所有の権利を主張する背景には、本来なら自分たちを守ってくれるはずの警察に対する不信感があるのではないでしょうか。
私もアメリカに留学していたことがありますが、そのときいちばん強く感じたことは、市民と警官の距離が遠いということです。例えば、白人警官による黒人射殺はいまでも珍しくありません。この不信感が、日本と違って「自分の身は自分で守る」という考え方につながっているのだと考えます。
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