鉄道の街・沼津は「停車時間の長さ」で発展した 機関車交代の重要駅、漁村から工業都市へ

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沼津駅の開業は、さまざまな面で沼津という街を変えた。その1つが、観光需要の創出だった。

沼津は温暖な地で知られていたが、交通の便が向上したことによって、避寒地として注目されるようになり、大山巌・西郷従道・大木喬任・川村純義といった明治新政府を担う政治家たちが続々と沼津に別宅を構える。

新天皇も幼少期に滞在された沼津御用邸入り口(筆者撮影)

明治の元勲たちが別宅を構えたこともあって、皇室も沼津に着目。1893年には大正天皇(当時は皇太子)の静養を目的とした沼津御用邸が造営される。現在の沼津御用邸は所有・管理が沼津市に移り、沼津御用邸記念公園と改称している。皇太孫時代の昭和天皇は沼津御用邸で過ごすことが多く、思い入れも強かったようだ。ちなみに、新天皇も幼少期に沼津御用邸で過ごされた経験がある。

御用邸や元勲たちの別邸が立ち並んだことで、沼津は観光都市・保養地としての色合いを強くしていった。駅から徒歩でアクセスできる場所に海水浴場が開設され、海岸沿いには旅館やホテルといった宿泊施設も増えていった。邸宅を構えることはなかったようだが、福澤諭吉も旅館に逗留している。

また、海水浴の効用や避寒地としてクローズアップされたため、旅館が立ち並ぶエリアには海浜院という病院も開設された。観光だけではなく、沼津は医療面でも注目される都市としてにぎわった。

伊豆観光の玄関口に

千本松原と富士山(写真:Yoshitaka/PIXTA)

沼津の観光地化は、戦後になっても進められていく。大正期、沼津の名勝として名高い千本松原で松の伐採計画が浮上した。若山牧水などの文人が反対の論陣を張ったために、計画は撤回。その千本松原は公園として整備され、市有化された。同地の一画には市営水族館がオープンする。市営水族館は1963年に閉館してしまうが、市内には観光コンテンツが充実し、沼津は伊豆観光の玄関口とも目されるようになっていく。

沼津市は、伊豆長岡町(現・伊豆の国市)などとも観光振興で連携を深めていく。伊豆長岡には西武グループの伊豆箱根鉄道が路線を有しており、現在でも沼津駅前から伊豆箱根鉄道のバスが頻繁に発着している。

また、沼津市内にある水族館「伊豆・三津シーパラダイス」も伊豆箱根鉄道が運営しており、2011年に沼津港にオープンした「沼津港深海水族館」と合わせて、多くの観光客を呼ぶ目玉コンテンツになっている。

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