鉄道の街・沼津は「停車時間の長さ」で発展した 機関車交代の重要駅、漁村から工業都市へ

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沼津駅北口から徒歩3分の高沢公園には、御殿場線などで活躍したD52形SLが展示保存されている(筆者撮影)

今でこそ国府津駅から熱海、そして沼津駅へと一直線に東海道本線が駆けていくが、当時は技術が未発達だったことから熱海駅―函南駅を結ぶ長大な丹那トンネルを掘削できなかった。そのため、当時建設されたのは現在の御殿場線にあたる路線だった。国府津―沼津間は全区間にわたり急勾配が続くため、列車には補助機関車が必要だった。

補助機関車は国府津駅と沼津駅で連結・切り離しするため、両駅には機関区が設置された。とりわけ沼津機関庫(後に沼津機関区へと改称)は重要な機関区として扱われ、最新鋭の機関車が配置された。

1934年、丹那トンネルの開通で国府津―沼津間は現在の東海道本線のルートに切り替わり、補助機関車は不要となったが、東京駅―沼津駅間は電化され、沼津は電化区間と非電化区間の境として引き続き重要な役割を担い続けた。

駅南口広場には、鉄道の街・沼津の名残を伝える煙室扉や動輪がある(筆者撮影)

沼津機関区には、C51形やD51形といったSLの名機や電気機関車が配置された。その中でも特筆すべき存在はEF55形電気機関車だろう。のちに“ムーミン”の愛称で親しまれたEF55形は、片側が流線形という珍しい機関車だった。その形状から鉄道ファンの人気は高く、「つばめ」や「富士」といった当時の花形特急を牽引するエース機だったことも人気に拍車をかけた。

機関区は、誕生から100年の節目にあたる1986年、惜しまれながら廃止された。

「待ち時間」が生んだ活況

丹那トンネル開通前は補助機関車の連結・切り離し、そして東京駅―沼津駅間の電化後は電気機関車と蒸気機関車の交代を行う必要から、沼津駅では長い待ち時間が生じた。

現在も沼津駅で駅弁を販売している桃中軒は1891年創業の老舗として知られるが、待ち時間の長さもあり、駅弁の売れ行きはよかったという。新橋駅や米原駅(滋賀県)では、沼津駅で販売された桃中軒の名前入り汽車土瓶が発掘されている。こうした調査からも、沼津が東海道本線の主要駅だったことが窺える。

機関車の付け替え・切り離しの待ち時間中、一時的に駅を出て街に繰り出す乗客もいた。街へと繰り出した乗客は、駅前で食事や買い物をして時間を費やした。そうしたことから、沼津駅前は鉄道の恩恵で活況を呈していく。

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