長野五輪の遺産「スパイラル」休止に学ぶ教訓 ボブスレー施設の後利用を阻んだ障壁とは

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アジア唯一の施設とかかれた看板も残されている(筆者撮影)

「1972年に札幌五輪のとき、手稲山にボブスレーとリュージュの自然コースができました。自分も選手でしたが、自ら氷を張って、雪かきしてコースを整備する状態で、1986年頃までそういう形で運営をしてきました。

長野五輪を視野に入れて新施設ができると聞いたのはまさにその頃。しかも冷媒が走っていて水をまけば製氷できる『パイピングコース』だということで夢のような気持ちになりました。その施設でメダルを出すことはわれわれの悲願でしたが、長野では届かなかった。それがかなっていたら、スパイラルをもう少し長く使えていたかもしれないと思うとやはり悔いが残ります。

それでも、札幌市が立候補へ準備を進めているように2030年には2度目の札幌五輪が来るかもしれない。そうなれば、長野の施設をリニューアルして再稼働させるチャンスはある。国民にも支持されやすいと思います。そういう期待を抱いています」

鈴木教授が理想像を口にしたようなシナリオが現実になれば、ソリ競技に携わる人々にとってはハッピーだ。が、仮に札幌五輪が実現したとしても後利用の問題は再び重くのしかかる。長野の二の舞にならないような五輪競技施設のあり方を模索することが強く求められるのだ。

施設の後利用はもっと真剣に考えなければいけない

このスパイラルの場合、想定した利用が実現できなかったり、NTCの規制が障壁になる部分が大きかったわけだが、五輪の後利用を考えると規制を見直して、柔軟な活用を認めるといった解決策を見いだす必要があったのではないか。

五輪のために新設した競技施設をどうするのか。その議論が十分になされなければ、東京2020大会後の東京都、そして2030年の冬季五輪に向け立候補の準備を進めている札幌市も安心して開催することはできないだろう。

元川 悦子 サッカージャーナリスト

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もとかわ えつこ / Etsuko Motokawa

1967年、長野県生まれ。夕刊紙記者などを経て、1994年からフリーのサッカーライターに。Jリーグ、日本代表から海外まで幅広くフォロー。著書に『U-22』(小学館)、『初めてでも楽しめる欧州サッカーの旅』『「いじらない」育て方 親とコーチが語る遠藤保仁』(ともにNHK出版)、『黄金世代』(スキージャーナル)、『僕らがサッカーボーイズだった頃』シリーズ(カンゼン)ほか。

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