ピエール瀧氏の「心理」をそれらしく診断する罪 専門知の権威を借りて指弾するメディアたち

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精神科医・政治心理学者であり、CIAや議会で数々の証言を続けてきたジェロルド・ポストは、次のように述べている(2002)。

APAの倫理規定はゴールドウォーター・ルールと同じ7条の別の項で、「公衆を教育し政府に助言すること」を精神科医の倫理としているが、これは時に、ゴールドウォーター・ルールとバッティングするのではないか。また、政治学者や歴史学者なども、著名人についての見解を述べて公共に貢献することがある。それなのになぜ精神科医だけは、公共の福祉に貢献すべき場面で沈黙しなければならないのかと。

ともに精神科医であるジェローム・クロールとクレア・パウンシーも、共著において基本的にはこの見解に同意する(2016)。そして、社会の脅威となる可能性のある人物について精神科医がコメントできず、パブリックな議論が抑圧されるのであれば、むしろその方が倫理に反すると論じた。

強い影響力を持つ政治家があからさまな精神的問題を抱えていることに気づいていてなお沈黙してしまうのであれば、むしろそれこそが罪深いのではないか。ならば、メディアでのコメント自制を求めるゴールドウォーター・ルールは、決して破ってはならない中核的倫理原則ではなく、単なるエチケットの地位に引き下げられるべきであると主張するのである。

線引きが必ずしもクリアではない

一方でこうした議論は、ゴールドウォーター・ルールの文言が曖昧であるせいで混乱しているとする声もある。精神科医のジョン・マーティンジョイは、論文の中で「直接の診察と本人の同意を経ない限り、精神科医が公にコメントしてはならない」というゴールドウォーター・ルールの理解は、あまりに単純化されており、APAの本来の意図と異なっていると指摘した(2017)。このルールの意図するところは、精神科医の社会的発言の一切を禁じるものではないはずだと。

ルールはこれまで、APA会員による学会への質問とそれへの応答という形を取りながら、何を禁止し何を許容するのかの線引きを書き加えてきた。例えば、「歴史上の人物の精神状態を、記録にもとづいて分析することは非倫理的だろうか?」「保険金の支払いのために、事後的に行った分析を保険会社に提供することは非倫理的だろうか?」といった形で。それが忘却され、あたかも精神科医の発言を一律に禁止するかのように受け止められているのは問題だというのだ。

マーティンジョイは、APAは会員である精神科医に「適切な権限を与えられた場で」「十分な情報にもとづいて行われ」「学術的なスタンダードを満たす限り」においては、直接の診察と本人の同意を経ない場合であっても、一定のコメントを許容していると見る。法医学者が法廷で行う証言、保険会社への情報提供、議会や情報機関での証言など、精神科医が倫理的に行いうる貢献は多岐に及ぶ。

他方で、ことにメディアにおける精神科医のコメントは、これらの前提条件を満たさないため、精神医学と分析の対象への信頼を損なう非倫理的なものであるとしている、と考える。

どのような発言が、ゴールドウォーター・ルールによって禁止されるのか。その線引きは必ずしもクリアではない。だからこそゴールドウォーター・ルールは、報道する際の倫理を巡る議論の際にしばしば持ち出される。ジャーナリズムについて教えるメレディス・レヴィンは、今でもルールの機能を重視する一人である。

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