上原浩治 ケガや試練超えた「反骨心」 「無理」を、狙え!
巨人で終わらない そう心に誓って流されなかった
体育教師を目指していたが大学進学で推薦は受けられず、さらに一般受験にも失敗して浪人した。渇望し続けた野球を休み、警備員やスーパーのレジ打ち、引っ越しの手伝いや会場警備などのアルバイトをしながら勉強に明け暮れた。この時期、ジム通いで体を作り上げていたことが幸いした。現役時に上原の実技試験を見ている大阪体育大学野球部監督の中野和彦(55)は、一浪してきた上原の球のキレが増していることに驚いた。
「1年間ボールはほとんど握れてないと言ってたんですが、信じられなかったですね」
1年時からエースとしてチームをひっぱり、8シーズン中5シーズンを優勝に導いた。だが野球部への援助は少なく遠征費用すら出ずに自腹で、勝ち進むと「もう負けたほうがええんちゃうか」と冗談も出た。
国際大会で活躍し、上原の視野に入ってきたのはメジャーリーグ。中野はその中のある球団に受諾の電話をするところまで話を進めていた。その日の朝、上原から電話があった。
「返事を待ってください」
自宅から2時間かけて大学に来た上原は、中野を前に泣いた。
「僕、野球やめます」
日本のプロ野球とメジャーとの間で、ギリギリまで上原は悩んでいた。中野は声をかけた。
「家に帰って、一番楽しかった時のことを思い出せ。それが野球やったら、野球を続けたらええ。もう少し考えてみろ」
数日後、上原は巨人入りを表明。逆指名会見では「メジャーでやるにはまだ自信がない。日本で実績を作ってから」と公言し、バッシングも受けた。
「隠すほうが僕はいやなんで。今の子はメジャー行きたいって言っても叩かれませんからね。僕はジャイアンツを踏み台に考えているとか書かれましたけど」
上原は言う。
「野球界って、最初に甘い汁を吸ってしまって、そこから抜け出せなくなるんですね。後から気づいても遅い。ジャイアンツは注目度も高いし自分も勘違いした部分もありましたけど、メジャーでやりたい、ここで終わりたくないという目標は常にあったので、周りに流されないようにと思ってやってきました」