「MINI」は、なぜ日本で根強い人気を誇るのか 英国で誕生して60年、その歴史を探ってみた

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スバル360は、客室後ろにエンジンを搭載したが、MINIは客室の前側、進行方向に対し横置きにしてエンジンを搭載し、変速機をその下へ配置することで、3メートルの全長に収めた。したがってMINIは前輪駆動車である。開発段階の試作車では、ほかに後輪駆動車も作られ、徹底的に試験走行が行われた。限られた空間にすべての機能を収めるため、サスペンションにはゴムが使われ、その弾力を利用して衝撃吸収を行った。

客室後ろの荷室はそれほど容量が大きいわけではなかったが、トランクリッドを上から手前に開ける機構とすることで、開けたリッド部分を台にして荷物を載せ、ベルトで固定することにより、必要に応じて多くの荷物を運べるように考えられていた。

外観の造形もイシゴニスが行った。戦前のクルマはいずれもタイヤを覆うフェンダーが張り出す格好だったが、今日に通じるエンジンフードからフェンダーが一体となる姿とした。ラジエターグリルと丸いヘッドライトを持つ、戦後の顔つきになっている。ドイツやフランスにも、フォルクスワーゲンのタイプ1(ビートル)や、シトロエン2CVなど、庶民のためのクルマはあったが、いずれも戦前の設計であったためエンジンフードとフェンダーが分かれた造形となっている。

室内の速度計などはダッシュボード中央にあり、右ハンドルにも左ハンドルにも対処できる造形だった。見栄えという点においても、当時のMINIは内外装ともに斬新だった。

当初の購買層と異なる人々の評判

斬新でありすぎたのか、発売されたMINIは消費者の受けがよくなかった。実はMINIは、戦前の大衆車に比べ車体が小さかった。戦前は先に紹介したようにタイヤを覆うフェンダーが張り出していたため、立派に見えたのだ。実際、寸法も若干大きかった。「近所の人にこんな小さなクルマで出かけるところを見られるのはごめんだ」というのが、MINIに対する庶民の率直な感想だった。

一方、顧客像として想定外の会社役員や管理職、果ては貴族や王室の人々にMINIは絶賛された。顧客名簿には、エリザベス女王の長女アン王女、ビートルズのポール・マッカートニー、俳優のピーター・セラーズなどの名が並ぶ。

ファッションデザイナーのポール・スミスは、「デザインが本当に機能的で、同時に、速く、セクシーで、革命的だった」と語ったとされる。ミニスカートを創案したマリー・クワントは、「MINIを運転していると、すっかり自由になれて、解放されるの」と話した。

さらに、レーシングカー製造会社としてF1でチャンピオンを獲得したジョン・クーパーの手で高性能化されたMINIが、1961年にBMCの工場で製造され、発売されることになる。MINIクーパーの誕生だ。その発表会場では、名だたるレーシングドライバーたちが試走を披露し、花を添えた。

1964年には、冬のモンテ・カルロ・ラリーでMINIクーパーSが優勝し、1965年と1967年にも勝って注目を集めた。ほかにも、1969年の「ミニミニ大作戦」という映画で、カーチェイスを演じるクルマとして選ばれ、大きな話題となった。

当初の購買層と異なる人々からの評判や、さまざまな場面での活躍をきっかけに、MINIは広く人々に愛用されるクルマとなっていったのである。

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