41. しかし1回で自身の身長分しか進めないため、巡礼路一周には約3万5000回も五体投地を行うことになる
42. この一周約52㎞の巡礼路はゲルワ・グーツァンパが開いたとされ、最高点「ドルマ・ラ」は標高5630m
43. 巡礼路沿いにはチベットの五色の祈祷旗であるタルチョやチベット僧院、鳥葬場、仏足跡等もみられる
44. カイラス山はチベットの民間宗教ボン教やヒンドゥー教でも聖地とされ、ボン教徒は〈左回り〉に巡礼する
仏教が伝来した日本でも巡礼が行われるように
45. 6世紀半ばに仏教が伝来した日本では、奈良・平安時代に入ると各地でさまざまな巡礼が行われるようになる
46. 718年、長谷寺の開基・徳道上人は冥土の入口で閻魔大王に観音霊場の開創を勧められ現世に戻される
47. 〈世の中の苦しむ人々のために巡礼を勧めよ〉との言葉と起請文、三十三の宝印を受けた徳道上人は早速行動
48. 近畿2府4県と岐阜に三十三箇所の観音霊場を設けるが世の信仰を得られず、宝印は摂津中山寺に納められた
49. 986年19歳で出家した花山法皇は比叡山での修行後、三十三箇所霊場巡礼を発願。中山寺の宝印を探し出す
50. 988年には紀州熊野から三十三箇所霊場を巡礼。一説にはこれが「西国三十三箇所巡り」の起源とされる
51. 深い観音信仰を持っていた源頼朝は西国にならい「坂東三十三箇所霊場」を発願。実朝の代になり成立した
52. のちに埼玉県秩父地方で「秩父三十四箇所霊場」が開創され、すべてを合わせて「日本百観音巡礼」となった
53. 日本百観音巡礼の結願寺は秩父の34番札所である水潜寺だが、結願後は長野にある善光寺に御礼参りを行う
54. 一方、都から遠く離れた四国は古代から辺地(へぢ)と呼ばれ、平安時代は修験者たちの修行場だった
55. 若き弘法大師空海もその1人であったとされ、彼の入定後、慕う僧たちが大師の足跡を辿る遍歴の旅を始めた
56. この旅が「四国遍路」の原型ともいわれているが、四国八十八箇所はすべて弘法大師ゆかりの寺院である
57. 阿波国の霊場は〈発心の道場〉で23寺、土佐国は〈修験の道場〉で16寺、伊予国は〈菩提の道場〉で26寺
58. 讃岐国の霊場は〈涅槃の道場〉で23寺あり、これらをすべて合わせると88カ所となる
59. 西国など他の巡礼地と異なり、四国八十八箇所の巡礼は「遍路」と呼ばれ、霊場を結ぶ道は「遍路道」という
60. また札所に参詣することを「打つ」と表現するが、一番から順番に打つ必要はなくどの寺から始めてもよい
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