ウルトラセブン「ポインター号」造った男の情熱 全国を疾走し「ロマンスカーと撮影」も実現

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ところが数カ月後に、ある業者から「1958年式が手に入った」という連絡がきた。なんと、その業者は道路上を走っているクライスラーインペリアルを呼び止めて、その場で買い付けたというのだ。

代金は1万ドル。3~4日以内に振り込めという。友人たちに「ポインター号を造るのでカネを貸してほしい」と頼んで回った。誰もが驚いたが、資金は無事に集まり、送金することができた。

「本当に造れるのかなあ」。船便でクルマが日本に運ばれてくるまでの間、ずいぶん悩んだ。日本では珍しいクルマなので、造れなければ、転売してしまえばいいとも考えた。珍しいクルマなので、小遣い稼ぎにはなるだろう。でも、到着した真っ白な車を見て「これは造るしかない」と思い直した。「維持するのが大変だ。やめておけ」と忠告する友人もいたが、「僕が責任とるから」と、制作すると決めた。1991年、ポインター号の製造がスタートした。

食費を削って改造・整備

城井さんは決して自動車に詳しいわけではない。車検に詳しい人、造形に詳しい人、さまざまな知見を持った仲間たちとの共同作業だ。

ポインター号の設計図がないのは悩みの種だった。そこで、プロのモデラーにポインター号のミニチュアを造ってもらった。それを元に実寸ベースの設計図を造った。鉄板をたたき出して溶接する。失敗すると鉄板をはがしてもう一度造り直す。通常の改造車では軽量化のためにアルミやFRP(繊維強化プラスチック)を使うという。しかし、国産車でポインター号を造った人の助言に従って鉄板で造った。

1958年式クライスラー・インペリアルを改造して制作したポインター号(撮影:梅谷秀司)

改造を引き受けてくれた工場は自宅から遠く離れた九州の福岡。様子を見るために週末ごとに福岡に向う日々が続いた。改造に要した費用は300万円。さらに交通費も上乗せされた。

続いて、整備をして車検を通す作業だ。クルマの状態は決してよくなかった。エンジンはかかっても、トランスミッションが不調。直そうにも1950年代のアメリカ車の部品を調達するのは簡単ではない。運よく正規部品が手に入っても、なぜか取り付けできない。整備費用もばかにならない。当時は城井さんの給料も安く、食費を削ってしのいだという。

次ページ当時の製造スタッフもお墨付き
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