新元号へ走り出す、「平成」の観光列車の勝算 「炭鉱」から「観光」へデザインで生き残り模索
鉄道の旅、中でもローカル線の旅をしていて、どうにも侘びしさを感じることがある。
もともとローカル線というのは住んでいる人の少ないところを走っているわけで、乗っている人も少ないし車窓だって山川海の美しさはともかく人里離れた寂しさがあるものだ。が、こうしたあたりは、はなからわかりきっているし、それがローカル線の旅をする目的の1つでもあるから構わない。
ときに感じる“侘びしさ”や“切なさ”は、人里離れた里山をゆく生粋のローカル線で感じるのとはまた別のものなのだ。かつて大いににぎわったけれど、時代の流れに抗しきれずに寂れていった路線、つまりは“役割を終えた”ローカル線の中にこそ、濃密に漂っている。
平成元年に発足した鉄道会社
そうした路線の1つが福岡県は筑豊地域を走る第三セクター、平成筑豊鉄道の3路線である。平成筑豊鉄道はその名のとおり平成元年、1989年に元国鉄の廃止対象となったローカル線(伊田線・糸田線・田川線)を引き継いで発足した。
もともと筑豊は炭鉱で栄えた地域であった。平成筑豊鉄道の各路線も、そうした炭鉱から石炭を運び出すために作られた。国内最大規模の炭鉱の町を走る運炭列車。それが平成筑豊鉄道のルーツである。
今も平成筑豊鉄道に乗ってみると、炭都を走る路線のにぎわいの残滓を感じ取ることができる。1時間に1本ばかり、それも通学時間帯を除けば単行の気動車が走るだけの典型的なローカル線でありながら、伊田線はなんと複線。さらに、伊田線と糸田線が分かれる金田駅やJR日田彦山線と接続する田川後藤寺駅などの構内の広さや長大なホームを含めても、いかにも今の平成筑豊鉄道とは不釣り合いなのである。
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