新元号へ走り出す、「平成」の観光列車の勝算 「炭鉱」から「観光」へデザインで生き残り模索
1989年の転換直後は、駅の増設や運転本数の増便などの効果もあって輸送人員は堅調だった。
ピーク時の1年間の輸送人員が約342万人。ところがそれも最初だけで、その後は年々右肩下がり。2017年度には約168万人にまで落ち込んでしまった。
他の三セク路線と比べれば良い数字ではあるが、前述の通り“過大”な線路などの施設の保守コスト、さらに車両の更新コストなどを考えれば「10年、20年先も安泰とはいえない」(河合社長)。
地域と築いた協力体制
これまでもまくらぎオーナーやつり革オーナー制度の導入や駅の愛称命名権を募集など、さまざまな増収策にも取り組んできた。
地元の高校生とともに駅のリニューアル(柵などの塗替え)をするなど、地域との協力体制も築いている。
「もともと炭鉱のために地域の私鉄として誕生したという歴史もあって、沿線の住民の方々にはかなり愛着を持っていただいていると感じています。石炭と鉄道があって町が栄えたという思いもみなさんの中にあるのではないでしょうか」(河合社長)
ただ、こうした取り組みの中においても、観光にはなかなか目が行かなかった。
「特に有名な観光地があるわけでもない」(河合社長)というが、例えば“炭都としての歴史”みたいなものは観光対象としてはなかなか響かないという事情もあるようだ。
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